僕がなりたい人への道
挑戦ードイツ語でバルシューレー
3月19日,とうとう僕はドイツ語でのバルシューレに挑戦した.
まず,挑戦する場をくれたMauriceにはどう感謝していいかわからない.僕1人では決してできなかったことであり,多くに人に支えられて,チャレンジできていることを今一度考えようと思う.
何より嬉しかったのは,子どもたちが「Taku!Taku! Guck mal!」と言って自分ができたことを僕の前で見せてくれたこと,そして楽しそうに僕が考えたメニューに取り組んでいたこと.これほど嬉しいことは他にはないなあ.
自分なりにたくさんの挑戦を強いられてきたこのドイツ渡航.今まで書いてきたようにたくさんの失敗を繰り返してなんとかここまできたわけだが,どうも,自分が失敗を繰り返して大きくなってきたと勘違いも生まれてきていたような気がする.失敗すらも,自分の周りの誰かがいて成り立つことであり,そのことにもっと感謝するべきではないのかなと考えるようになった.
今回のぼくのチャレンジは成功とは言えない.まだまだ改善点はあるし,ドイツ語の説明も決して上手くはないし,Mauriceにかなり助けてもらった.この失敗にしても,支えてくれた人に「ありがとう」という気持ちは常に持っておこう.
指導者とは,「人を導く人」
どんな人になりたいのか.
この問いは常に僕の中にある.
中学生,高校生の時の夢は「先生になること」
そして大学生の時は「何かを伝えられる人になること」
そして今は「モンキー・D・ルフィ」
これらの特徴は「人に影響を与え,人が変わるきっかけを与えられる人」
かなと最近は思っている.
現在,Ballschuleというドイツで開発されたボール運動プログラムを学んでいるわけだが,根幹には,どのように子どもと向き合い,スポーツの楽しさや意味をどう伝えていくかということがある.
ドイツのBallschuleやスポーツの指導者たちは,スポーツ指導の理念や目的を学び,どう子どもたちと向き合っていくかを現場で指導しながら学んでいく.どうしたら子どもたちが楽しいか,どうしたら目的とする能力が身についていくか.彼らは紛れもなく,「子どもたちを導いていく人」である.
現在,そのスポーツを通して,人を導いていける人になれるようにドイツで学んでいるわけだが,スポーツの専門家がみんな子どもを導いていく力があるわけじゃない.
「スポーツを通して,人を導く人」である前に,
「人を導くことができる人」でなければならない..
そのためには,人としての成長がやはり不可欠だと思うのです.
言葉にならない声を聴く
最近僕が好きなのは,鴨頭さんという人である.彼の動画はYoutubeにいくらでもあるから見てほしい.
その人はこう言っていた.
話が面白い,聴いていてわかりやすい人は,話しながら,声にならない人々の声を聴いている.
話す力と聴く力は振り子の関係である.
要するに話すのが上手な人は,聴くのが上手だということである.
それも話をうんうんと聞くということではない.言葉になっていない声を聴くのである.
この能力は僕の今までなりたかったもの,すべてに必要な能力であり,持っているべき能力である.
先生…これはまあ当然.
何かを伝えられる人…今までは聴くことにフォーカスしていなかったけど,伝えられるということは聴けるということである.
モンキー・D・ルフィ…「万物の声を聴ける」
聴く能力をつけるためには,その人を知るところから始まる.
指導者も方法論に振り回されるのではなく,目の前の子どもたちの声を聴く必要があるのである.
どんな人になりたいか,そしてそんな人にはどうなれるのかを考えたとき,
「聴くことができる人」という最初のステップをクリアしていくことは,僕にとってとても大切な課題である.