僕たちはただ,生かされている

好きな言葉

私には1つ好きな言葉がある.その言葉を放ったのは,かの有名なスティーブ・ジョブズだ.

 

「私は17歳のときに『毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる』という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。『もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか』と。『違う』という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。」

 

 

彼の言葉を聞いた時,毎日そんなこと思うなんて無理だと思う自分もいたが,よく自分の祖父が言っている,

 

「死ぬまで生きる」

 

 

という言葉になぞらえれば,なんとなく納得できる気もしたのだった.それから,今日が最後の日なら…と考えることは今の自分を最も輝かすことのできる言葉だと信じるようになっていった.

 

 

だから,僕は貯金の類はあまり興味がない.特に,目的もなくお金を貯めるくらいなら,今の自分に投資したり,本を買って読むほうがいいと思っている.今の自分を昨日の自分よりも成長させることは僕にとってとても重要なことだ.

 

さてここまで割と真面目な文章を書いてきたが,今回,実は入院病棟の,周りおじいさんだらけの部屋で書いている.7月10日,梅村拓未に何が起こったのか,話そう.


生かされた一日

水曜日だったので,大学にでも行って,論文や本を読み,自分のやることを進めようと思っていたのだが,なんだか朝早く起きて,活動しようという気持ちがあまり起きなかった.それは,喉が痛かったせいでもある.

 

僕は今実家に住んでいて,そこから車で40分ほどかけて大学院のある岩見沢まで通っている.この日珍しく8時頃でも母は仕事が休みで家にいた.

 

「喉が少し痛いんだ.」

 

という僕に対して,

 

「この真生(僕の弟)の薬すごい効くよ.」

 

と言われて,飲んでから,僕はもう一度2階へ上がった.

 

 

それから30分ほど過ぎた時,体に異変を感じたのだが,その時は,いつもの鼻炎だと思っていた.目が痒くなってきて,鼻がムズムズしていたから.そろそろ部屋のホコリを綺麗にしたほうがいいなと思っていたわけだ.

 

しかし,少し経つと口の中が痛くなってきて,目も腫れてくるような感覚があった.なんだかいつもと違うと感じて,下に降りていったのだが,それから口,鼻,目が腫れ上がり,全身にかゆみが走る.気づいたら声が出せないし,呼吸も苦しくなってきた.

 

 

母は,最初,

 

「何?大げさだね」

 

と言っていたが,息子の異常に気づき,救急車を呼ぶ.しかし…

 

僕より母がパニックで,救急車の番号がわからない!と言い出す.

 

僕が声にならない声で,「1・1・9」と伝える.

 

母は救急隊員と話しながら,なぜか最後に,

 

「近所に知られると嫌だから,音ならさないで来てください.」

 

なぜそこだけは冷静なんだ…

最も,その願いは聞き入れられなかったらしいが.

 

その時の自分の冷静さは異常で,呼吸が苦しいはずなのに,

また声にならない声で,「け・ん・こう・ほ・けん・しょ・は?」と聞いていた.

 

 

 

なんとか,病院に運ばれた僕は,助かることができた.救急隊の人たち,お医者さん,看護師さん,そして,ここまで進んだ医療に感謝しきれない.生かされたなと,心底ホッとして,病院で母の顔を見ると少しだけ涙が出てきた.


生きていくってなんだろうと考える

こんな先生に,こんな思いを持った先生になりたいと思った人がいる.僕が高校の時に出会った,古典の先生である.その先生の名前は荒木先生.

 

その先生はかなり年配の先生だったが,授業が面白くて有名な人だった.僕はその人の授業を受けていなかったが,

 

「授業中に,自分が死んだ時の話をする」

 

ということで噂になっていた.

 

 

なぜか気になって,その先生と面識がなかったのにもかかわらず,話が聞きたいです.と直接会いに行ったのを覚えている.

 

 

そこでその先生は,快く笑顔でその話をしてくれた.こんな話だ.

 

「60になる前に,俺は心臓の病で倒れた.いわゆる危篤の状態になったんだ.1週間ほど目を覚まさなかったらしいし,医者も,もう目を覚まさないと思うと家族に話していた.それでも家族はその1週間,病院のベットで声をかけ続けていた.それを俺はずっと聞いていたが,どうしても答えることができない.でも全部聞こえていたんだ.その1週間俺はある夢を見た.草はらで寝っ転がっていて,空には無数の星のようにキラキラしたものが流れていく.そのキラキラした星のようなものが自分の胸にもあって,それが空に向かおうとしている.その時自分で不思議なくらいはっきりとわかったことがある.この自分の胸の星をできるだけ綺麗にして,空に返すことが自分の,いや人間の仕事なんだと.俺はまだあそこに返すほどの仕事はしていない.もっと綺麗にしないといけないと思い,自分の胸から出て行こうとする,そのキラキラしたものを掴んだんだ.すると,目が覚めて俺はベットの上にいた.みんなが泣いてすり寄ってきた.そこで長い夢を見ていたことに気づいたんだ.」

 

その先生は起きてからのことをこう話す.

 

「今まで自分は,自分で生きていると思っていた.でもそれは違う.周りの人がいて,環境があって,自然があって,今回のように救ってくれた人がいて,いろんな人やものに僕たちは生かされているだけ.そのことを強く実感した.まだ僕にはやるべきことがある.たくさんの人に感謝を伝え,教壇に立って伝えることがあるんだ.」

 

僕が出会ったのは荒木先生が63歳くらいの時.先生は授業がないとき,職員室のソファで寝ていて,胸には心臓の発作が起きた時に飲む薬が入っている.それくらいギリギリの状態で授業をしている.

 

その時きていた教育実習生が話していた.

 

「倒れる前,荒木先生はいつも胸にタバコを入れていた.今も同じように胸ポケットが膨れているけど,入っているものはまるで対照的なんだよね.そんな荒木先生の授業を見ると,私は涙が出そうになる.」

 

僕が目指した「先生」,いや,「子どもたちより少し先を生きるだけの人」はこの人だった.あれからもう7年経つが,その先生の話や空気感まで覚えている.そうやって影響を与えてくれていた.僕はそうやって子どもたちに影響を与えられるような人になりたいと常に思っている.いつまでも誰かの心の助けになりたいと思っている.

 

はて,今の自分は,その方向に向かっているだろうか.

 

まずは,生かされたことに感謝しよう.

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