幸あれ。
決めました。
またまた,かなり久しぶりの投稿になってしまいました。
稚拙でもいいから,できるだけ自分で考えたことをここに書き記しておきたいとは思っているので,お付き合いしてくれる人は,なんとなく読んでくれると嬉しいです。
さて,ここ数週間でいくつか決断をしました。1つは,大学教員を辞めて学校現場の教員として働くということ,2つは,博士課程を辞めるということ。20代の後半は,大学教員として,そして博士課程の学生として,これまでやってきたが,30歳になった今,1つ区切りをつけることにしました。
辞める決断をする中でいくつか考えたことがあるけれど,自分のためにも考えたことを残しておく。
どこまで遡ればいいかわからないが,自分はなぜ教育業界にいるのかというところから考えてみた。
もともと中学校時代の先生たちに憧れて,教師という職業を目指した。教科に関係なく,「子ども」に関わり,一人ひとりの大事な時間に何か影響を与えられる教師という仕事をとても尊いと考えたからである。ただ,高校で出会った先生に「大学卒業後にすぐに教師になっても何も伝えられない」と言われたこともあり,いろんな経験を積んだ上で教師になりたいと思うようになった。また,大学時代の教育実習などの経験から,学校現場への批判的な視点ももつようになり,何か別の形で子どもに,教育に関わることはできないだろうかと考えるようになった。
そこから,大学院へ進学し,ドイツでのインターンを経験し,結果的に体育という教科の研究をしつつ,教員を育てるという職を選んだ。
ここ4年間は,大学教員として,先生になりたい学生に関わりながら,博士課程に入って研究をしてきた。その中では,学生だけでなく現場で働く先生たちに対しても,色々な形でアプローチすることができたと思う。
ただ,どこかに学校現場で子どもたちの前に立ちたいという思いがあったのと同時に,教師を育てる仕事をしていながら,教師という仕事をやったことがないというもどかしさはずっとあった。
あとから振り返った時に,「教師をやればよかった」という後悔を残さないように,ここで大学教員を辞めて,学校現場の教師として働くことに決めました。
「今は」博士号取得を諦める
就職したと同時に,博士課程に進学して,北大の発達心理学研究室に所属して研究をしてた。体育の研究室にこれまで所属してきたので,場違いではないかとずっと思っていたけれど,発達心理学研究室の皆さんは,最初から研究仲間として迎え入れてくれた。
博士論文に関しては,書き上げる目処が立ち,指導してくれていた先生とも話して,来年度で修了できる見通しが立っていた。しかし,自分の研究と真っ向から向き合えていなかったと振り返って強く思う。確かに,博士号を取得できれば,さらに研究者としてのエンジンがかかっていたかもしれないけれど,教師を対象にして研究しているのに,その教師たちが日々どのような思いで子どもの前に立っているかということがわからなかった。
周りからは研究をどんどん進めているように見えていたかもしれないけれど,ここ1,2年は「こんなことをもっと知りたい」「研究してみたい」という思いをなかなか持つことができなかった。それは自分が一番よくわかっていた。
自分の研究とちゃんと向き合っていない自分を知ったとしても,どうしていいかわからない。なんとなくできる扱いをされることも多く,見栄を張っているところもあった。
たとえ,学校現場に出たからといって,何かに向き合えるわけではないし,何かが変わるわけではないと思う。
これは,上京して環境が変わったり,海外留学したりしたからといって特別な力が身につくわけではないのと一緒。
自分がどれだけ目の前のことと向き合って,歯を食い縛って闘えるか。
そういう意味では,今回の決断は,もしかすると逃げているだけなのかもしれない。
「博士号を諦める」
これは,研究者を諦めることと同義。
ここで研究者を諦めるという自分の決断を後押ししてくれたのは,1人の先輩の博士論文の発表だったと思っている。
数日前に,同じ研究室の先輩の博士論文の公開発表が行われた。自分も参加したのだが,僕が研究室に所属し始めた時からいる先輩で,博士論文を完成させることに苦労していたことを知っていたから,その人の博士論文の発表は感慨深いものがあった。
発表から,これまで取り組んできた研究を心から大事にしていることが伝わってきた。幾度か目を背けたこともあっただろうし,向き合えなかったこともあったはず。それでも,最後まで自分の研究と,そして研究対象者と正面から向き合ったことがひしひしと伝わってきた。
そうした先輩の姿を見て自分の研究との向き合い方を振り返ったときに,色々と考えることがあった。
特に,この1年は明らかに研究が進まなかった。夏には,研究協力してくれた先生たちに登壇してもらう研究会を開いたりもしたけれど,それでも博士論文は進まず,自分を責め立てていた。
学会や大学で,他の先生たちや大学院生たちの中で,研究に打ち込んでいる人たちは,本当に楽しそうに研究の話をする。当然,その過程に苦しさがあることも知っているが,それでも瑞々しく研究を進めている姿を見ると,自分は研究者として生きていくべきなのかと問わざるを得なかった。
諦める,逃げると言ってしまえば,それはネガティブかもしれない。先輩の発表を見て,お疲れ様でしたという思いとともに,悔しさがあったこともまた認めないといけない。
でも,博士課程の4年間で,自分でも博士号が取れそうだという思いを持つことはできた。
これから先,ちゃんと自分の研究と,そして役割に向き合えたときに,もう一度博士号という資格を取りに来ようと決めた。そのためにも,4月からは目の前に現れる子供と真っ向から向き合う。
同じ志をもつ仲間
いい例えかはわからないが,「受験は団体戦」などと言ったりすることがあると思う。
去年で30歳になったわけなんだけれど,この年になってくると,なかなか純粋な「友達」というのはできないもの。
博士課程で出会った人たちは,僕からすると友達とはちょっと違う。プライベート(大学教員なんかやっているとプライベートが何かもよくわからなくなってくるけれど・・・)では会わないけれど,たまに会って無駄話をしたりする関係。研究をやっているから繋がっているし,大学教員同士だからこそできる話題があったりもする。
研究テーマや考えていることは違うのだけれど,同じ研究室で同じように学位取得を目指していると,不思議な関係性になるものである。それが,僕にとっては北大の発達心理学研究室のメンバーであった。
今回,辞めることを告げると,自分のことのように考えてくれて,寝る間も惜しんで,「もっと何かできたのではないか」と考えてくれたり,「梅村さんは真剣に考えたと思うけれど自分はこう考える」と意見をぶつけてきてくれたりした。そうやって,自分のことのように考えてくれた姿勢が,心底嬉しかった。
先ほど話した博士論文の公開発表をした先輩のお疲れ様会ということで,ゼミでの飲み会を僕自身で企画したのにも関わらず,先生をはじめとしてみんなが僕のことを盛大に追い出してくれて,横断幕まで作ってくれた。僕が辞めると伝えてから1週間しか経っていないのに,寄せ書きに北大Tシャツに花束まで用意してもらって,感無量とはこのことである。
この研究室で最後まで走りきれなかったけれど,自分がいた博士課程の4年間はきっと無駄ではなかったと思わせてくれた。
そして,今回の経験を通して,改めて同世代の同じ志をもつ仲間の存在の大切さを確認できた。
勝手にできるものではないのかもしれないけれど,一緒に受験を戦い抜くような,同じ世代を生きる仲間が必要だということが,これまで以上によくわかった。
30代は,同世代をちゃんと作っていくこと,そして,目の前のことと真っ向から向き合えるようにしたい。
改めて,僕は,今年度をもって大学教員を辞めて,北大の博士課程を退学する。
30歳の自分がした決断が間違っていなかったとあとから振り返ることができるように,今は前に進むことにする。
「幸あれ。」