エンターテイナーになるということ
Weihnachten in Deutschland
Weihnachten とはドイツ語でクリスマスという意味になる.11月の下旬からドイツではいたるところでクリスマスマーケットが行われていて,みんながグリューワインという温かいワインを飲んでマーケットを歩き回りながら楽しむ.
1ヶ月くらいドイツのクリスマスムードは続いたわけだが,日本とはクリスマスへの思い入れも文化としてのクリスマスのあり方もかなり違っていた.12月6日?にはニコラウスというサンタクロースとはまた違った人が,靴下にお菓子なんかを入れたりする.僕の靴の中にも朝部屋を開けるとチョコレートとみかん,りんごが入っていて,不審者が来たんじゃないかとかなり驚いたものだ.そして12月24日にはサンタクロースが来て,子どもたちのところに荷物を届けるのだが,欲しいものをあらかじめ子どもたちがサンタクロースに電話して伝えておく.
そして人からもらったプレゼントも24日の夜まで開けないのがお約束らしい.この辺もしっかりしているわけだ.
日本人はクリスマス1人で過ごすのが辛いとか,彼氏彼女がいないと寂しいクリスマスだなどという話になる.僕が見た限り,何人かがツイッター上で,「リア充め,このやろう」と呪いでもかけるかのようなツイートを何件か見かけた.
じゃあドイツはどうかというと,彼氏がいようがいまいが大体の人が家族の元へと帰る.大学も年始までは休みになる.それくらい家族とのクリスマスの時間を大切にしているということである.そして23日から26日まで,スーパーやら,レストランやらいろんな店が閉まってしまう.
もちろんキリストではない日本とドイツを比較しても特に意味はないのだが,家族を大事にするヨーロッパの文化に少し触れることができたかなと思うし,日本でいうお正月くらいはこれからも家族と過ごしたいなと思った.(今年は全く過ごすことができないが.)
日本で働けるのか,俺
僕がやりたいことは,正直たくさんあるんだけど,やっぱり子どもと関わり続ける仕事がしたいなと思っている.大学生の頃の僕は,教育に携わっていきたいから,学校の先生になると思っていた.今は必ずしもそうだとは思わない.
学校の先生だけでなく,スポーツクラブで子どもたちと関われることを大学院で知った.また,子どもに直接関わらなくても,子どもに直接関わる先生を育てる?(ちょっとおこがましい)ような関わり方もある.ゲストハウスで放課後スクールのようなことをしている人も知っている.教育,子どもと関わると言っても世の中にはいろんな仕事がある.
やりたいこと,好きなことを突き詰めていくというのは大事なことだし,そうしてこれからも生きていくつもりだが,食べていけるだけのお金をもらうというのもやはり大事なことである.さすがに「自分の好きな仕事しているけど,給料は月5万円」では,生きていくのは難しい.
そうなっていくと,やはり学校の先生は安定して食べれるだけの給料をもらうことができる.僕は先生として学校で働いたことがないので,詳しいことはわからないが,他の仕事より無駄なことに時間が取られると思っている.例えば,保護者への様々な書類を作る作業や,職員会議など,子どもたちが帰った後,それらの雑務もこなさないといけない.
また,新任の時はいろんな役が回ってくるものだ.僕が大学3年生の時に教育実習で面倒を見てくれた先生が,新任の頃はいろんな仕事を任されて帰るのは11時だったと言っていた.
自分のこうしたい,ああしたい,こんなことやりたい!は果たしてどこまで学校現場では通るのだろうか.
例えば,仮に僕が学校の先生になって担任としてクラスを持ったとする.僕が大切にしたいのは,子どもたちの「なんで?」である.子どもたちが遠慮なくなんで?と聞ける環境の中で,じゃあこのことについてみんなで話そうよ,とディスカッションの時間を嫌という程とりたい.時には答えが出なくてもいい,もともと答えなんて出ない問いをみんなで考えるのもいい.
とにかく,教師が子どもに何か知識のようなもともと答えがあるようなものを与えるだけの教室にはしたくない.
日本では小学校低学年くらいの頃,先生に紙芝居を読んでもらったりするが,ドイツで聞いた話では,そういう絵本を読んだりするときも,絵を見て子どもたちが物語を考えたりするらしい.その時も勝手にディスカッションが起こる.ああでもないこうでもないと子どもたちは話すのだろう.そういう時間はとても大事な気がする.
僕が不安なのは,そういうことをしていると,例えば3年生で教えなければいけない範囲が終わらなかったとか,ここはうちのクラスだけやってないとかそういう問題が発生するんじゃないかということである.なんで1組ではこのページやったのに2組ではやらなかったのか,みたいなことである.
教育実習の時,こんなことを言われた.
「梅村くんは自分の色を出す先生にきっとなるね.僕は自分の色を出さないようにしているんだ.自分の色を出すことで次の学年で先生が変わった時に,あの先生はこうだったのにと思う子どもが出てくる.それよりもどこでも順応できる子どもを育てていかないといけないからね」
と.
その先生は本当によく面倒を見てくれたし,尊敬していたが,その部分はどうしても納得できず,だったら先生にはならなくていいやと思った記憶がある.
自分の操り人形にしたいと思っているわけではないが,自分と過ごした時間が子どもたちのプラスに働くように日々の授業や関わり方を考えたいし,そのためにもっといろんなことを僕が学びたいし,子どもたちと学びたい.それが僕のやりたいことの一つであることは間違いない.
しかし,それよりもまず,これは教えないといけない,ここまでは今学期中に進まないといけない,が先に来るなら僕は先生として学校で働けないなと思う.
生活できるだけのお金をもらう,または生み出しながら,自分のやりたいことをするというのは案外簡単ではない.
エンターテイナーになりたい友達
この前,男3人でクリスマス・イブを過ごしていたのだが,将来的にどうするのという話になった.ちなみに2人の名前はまさきくんと,ともあきくん.2人ともワーキングホリデイでドイツに来ている.
まさきくんは,2月に帰国してから就活をすることになるようだが,どこで働きたいとかはないけど,エンターテイナーになりたいと言う.そして,それはともあきくんも同じ思いだということ.エンターテイナーってなんだろうと考えた時,思うのは,自分の好きなこと、自信のある事で人を幸せにしたり,笑顔にしたりする事だという.
なんだかその考えには深く納得している自分がいた.
とかく,どの企業に就職しようとか,職業はどうしようと考える自分が出てくるし,周りからも,将来は何になるの?と聞かれるが,毎回答えに詰まる.
エンターテイナーは職業かと聞かれるとそうではない.ただ,どんな仕事でも,周りの人を幸せにし,笑顔にする人である.
「最近の若者は外に出たがらないんだよね〜」
と,最近お世話になっている僕のドイツのお母さんのような人は言っていた.日本にいると海外に出ることはとても大きな挑戦のように見える.なんせ,お金がかかる,時間も必要,英語話せない,まして日本は素敵な国……
考え始めればいくらでも行かない理由を挙げることができる.だけど,その一歩を踏み出してきたある種の馬鹿がこうやって故郷から遠く離れた場所で会い,クリスマス・イブを過ごすというのはなんとも不思議な縁である.
先日,ハイデルベルクでスポーツ用品のインターネットを使った会社を経営している人にお会いしたのだが,その人も「やるか,やらないか.ここにいるということは少なくとも,一歩を踏み出した証だよ」と言っていた.
こうやって一歩一歩,何があるかわからない未開の地に足を踏み入れ,失敗を繰り返し,辛い思いを乗り越えた先にエンターテイナーになる資格は存在するんじゃないかと今は考えている.ある種,修行のような日々も必要で,何回も皮を剥いていく作業が必要なんじゃないかと思うわけである.
どの職業だろうが,エンターテイナーになることはできるが,エンターテイナーは職業ではない.
職業にかかわらず,子どもたちを笑顔にできるエンターテイナーに僕はなりたい.