会話の真髄

脊髄トーク

ドイツでの年末年始,1人で過ごすはずだった僕に救世主が現れた.
なんと日本から遥々,3人の仲間がドイツまで遊びに来てくれた.

 

はるか・・・前回一度ブログに登場している.今回も数々の伝説を残して凱旋帰国

しんご・・・眠くなると面白さは未知数,何をしでかすかわからない

たいすけ・・・乗り物が嫌い

 

3人とも僕の大学の同期で,もう6年来の付き合いになる.大学時代はよくウイニングイレブンというサッカーのゲームを「これが世界一面白いゲームだ!」とか言ってはしゃいでいた.

本当は彼らとのドイツ旅行記を克明にブログに記したいところではあるが,如何せん,覚えていない部分が多すぎる.そしてこの覚えていないということにははっきりとした理由がある.その原因はタイトルにあるように「脊髄トーク」である(ここからは大変くだらないので,ふざけんなよ!と思って読んでください).ちなみに「脊髄トーク」などという言葉は辞書のどこを探しても出てくることはないし,インターネットで調べても出てくることはない.

 

「脊髄トーク」とは僕たちの仲間が作った造語である.悔しいが,ここまで完成度の高い造語があっていいのだろうかと思う.人は会話をするとき,感じたことを脳みそで整理して,運動神経に働きかけて,口を動かしている,はずである.しかし,「脊髄トーク」は,思いついたことを脳みそを介さずに脊髄で話しているというのが,僕たちの考えである.(全く科学的根拠のない身内ネタであることを理解して読み進めていただきたい.)

 

今回の旅行でも移動の車の中,ホテルの中,まあ大体の会話は脊髄トークである.脳みそを介していないのだから,何を話していたかほとんど覚えていない.仕方ない.

 

だが,最近はこの「脊髄トーク」というのが,結構高度な会話なんじゃないかと思っている.まず,その会話に参加する人が,何か不愉快な思いをしたりするのはタブーである.言ってはいけないこと,人が気に触ることは言わない.これを無意識にやるのは簡単ではない.

みんな経験があると思うが,目上の人と話すときや,まだ仲良くない人と話すときは,「これは言ってはいけないかな」「話しすぎたかな」などと考えてしまうものである.そういう関係の元では「脊髄トーク」は決して成立しないのである.

 

「脊髄トーク」を繰り広げた結果,今回友達にほとんどストレスを感じることなく,むしろ,面白すぎて寂しく感じるほどだた.やはり,旅行はどこに行くかよりも,誰と行くかが肝心である.

ちなみに僕たちの大学の卒業旅行は,みんな海外や道外に出て楽しんでる中,自分たちの住んでいたアパートで鍋を食べて,いつも通りウイニングイレブンをして,終わりだった.


ドイツ人との会話

さて,上記に書いたような「脊髄トーク」という謎のワードの話だけでは,今回のブログは本当に読者の皆さんに申し訳が立たない.最近僕が体験した話をしたいと思う.

 

先日,僕のタンデムパートナー(お互いの言語を交換し,教え合うパートナー)Lisaと,彼女の兄 Fiorianと彼女の友達 Floと一緒に会話する機会があった.Lisaは日本語がとても上手で,僕は本当にお世話になっている.

 

大体半日くらい一緒にいたのだが,飛び交っている言語は全てドイツ語である.僕は単語を追っていくのが精一杯で,なかなか会話に入っていくことができない.ドイツ語を勉強し始めて約5ヶ月,一対一で会話したり,ゆっくり話してもらって理解して,自分の思いを伝えることはできるようになった.しかし,未だにドイツ人同士が話している話を理解するのは難しい.

 

Lisaの兄 Florian はとても話好きで,次から次へと様々なテーマでおしゃべりをする.どんどん変わっていくのものだから,少しでも理解できない箇所があって悩んでいるとすぐに置いていかれてしまう.

 

自然と僕は黙ってしまうことが多くなった.

 

そして,Florian に言われた.

 

「ドイツ人はとにかく話すんだ.拓未も,そうだよね!とか違うと思う!って自分で言わないと!」

 

個人的に日本ではおしゃべりな方で,無駄話も好きだし,議論するのも好きだ.自分の意見を述べるのも,相手の話を聞くのも好きなんだけど,外国に来ると,物静かなアジア人になってしまう.とても悔しかった.

 

そして,自分だけが話を理解していない.自分だけが会話に入っていけないというのは,教室で自分だけが授業についていけない,自分だけがリフティングできない,みんなは笑っているのに,みんながなんで笑っているのか理解できないから,笑うことすらできない,というような感覚だった.

 

まだ半年も経っていない,まして彼らは母国語なんだから.と言ってしまえばそれまでだけど,あの雰囲気は本当に悔しかった.この悔しさを僕は絶対に忘れない.


Communication

よく,「最近はコミュニケーション能力が大切です」なんて言われる.でも今ひとつコミュニケーションって何かよくわからない.人と話すことができればいいのか?

でも僕はもっと別のところに問題があると思う.

 

人と会話をするとき,本当にいろんな情報を身体が受け取ってるなと感じることがある.人の顔つき,目つき,声のトーンや話の間,ちょっとしたしぐさ,様々な情報からその人がどんな思いを持っていてどんな人間なのかを考える.特に初対面やまだ仲良くない人に対してはそういうことをかなり気にしている自分がいることがある.逆も然りで,自分がどんな風に見られているか,感じられているかも考える.

 

それを超越しているのが,僕は脊髄トークだと思っている.そういうのを無意識のうちに処理している自分がそこにはいるのだ.

 

だから,ある意味,脊髄トークができるっていうのは大事な能力な気がしていて,それができると,相手との間合いを間違わずに会話をすることができるようになるから,人との関係をうまく構築していけるのではないかと思っている.

 

じゃあ,そのためには何が必要なのか.

 

結論が雑で申し訳ないが,「とにかく人と自分の思いや意見を交換し続けること」だと思う.
交換するというのは,自分の意見も話しつつ,相手の話もしっかり聴くということである.

 

僕が小学生の時,「ディスカッション」についての国語の授業があったことをなんとなく覚えている.

『今日はみなさん,〇〇派と⬜︎⬜︎派に分かれて,ディスカッションします!』

 

教科書には自分の意見を言うための,型が決まっていてそれに自分の意見を埋めていくようなものである.もうこの段階でかなり脊髄トークから離れている.

 

僕が必要だと思うのは,勝手に議論が始まる環境である.どこでも自然と出てきたテーマについて自分たちの意見を述べあって,聴き合うことができるような環境を作ることが,コミュニケーションを育むための1番の方法だと思う.

 

思っても言わない,なんで?って聞かない,恥ずかしいから周りを見てから動く.遠慮.これらの日本人の特性はおそらく海外の人には全く理解できないものだと思う.

 

ドイツ語と英語で脊髄トークをすることがこの先5年間の僕の目標である.

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