人の出会いには意味がある
ドイツに来た時思っていたこと
ドイツに来るとき思っていたのは,
「日本人とはつるまないようにしよう」
ということだった.
言語習得のためもあったし,せっかく日本を出てきたのに,日本人と一緒にいるというのはちょっと…
こんなふうに考える人は少なくないはず.僕もそのうちの1人だった.
何事も,「すぎる」はよくない.
だから,ずーっと日本人と一緒,ずーっと日本語を話す,というのは今でもあまりいただけないなと思っている.
だが果たして,日本人と友達にならないこと,日本人と話さないようにすることは,海外生活の中で本当に大切なことなんだろうか?という問いが僕の中にはある.
日本にいれば,なかったはずの出会い
ドイツに来て最初の1ヶ月.何度かこのブログには書いたが,本当にわからないことだらけだった.
どこで切符を買うの?
洗濯機はどうやって回すの?
買い物はどうしたらいいの?
お金のことでもわからないことだらけで本当に困った.その時助けてくれたのは僕より前にドイツに来ていた日本の人たちだった.銀行口座はここが便利,図書館はここがいいよ,ドイツ語ではこうやって言うんだよ.と至れり尽くせり.
また,ベビーシッターを頼まれたり,日本人の子どもたちのサッカー教室をやっていく中で,ドイツに長く住んでいる人,同じく難しさを感じている人,チャレンジしに日本を飛び出してきた若武者たちに出会った.
いろんな思いを背負って様々な日本人が,海を渡ってきている.
彼らとは,きっと日本で住んでいれば会うことはなかったと思う.
布団から始まった出会い
前の部屋に住んでいるとき,掛け布団がなくて困っていた.そこで,「ハイデルベルク掲示板」というフェイスブックのグループで,使っていない布団がないか呼びかけてみた.するとそのときは全く面識のなかった池谷さんという方が貸してくれた.
快く貸してくれた池谷さんは,わざわざ車で僕の家まで布団を運んでくれて,「ご飯とか困ったらうちにおいで!」とまで言ってくれた.
そして布団を返す際,僕から食事に誘うと,快く承諾してくれた(結果的に僕が連れて行ってもらう形に…).そこでたくさんの話をした.海外での苦労した話,お子さんの話など.面白い話ばかりだったし,気を遣わず僕も話すことができた.
そしてひょんなことから,日本から来たばかりの人の家の手伝いをすることになる.初めての海外生活で困惑している上,足まで怪我してしてしまい,まだ小さい息子たちの面倒を見てくれると助かるとのこと.
ドイツに来てから,困っている人を助けることって純粋でいいなと思っている.それはドイツに住む人たちを見て学んだこと.見返りを求めず,自分がその人のために何かできるなら進んでやる.その「与える」の精神が僕は心から好きになった.だから,この人たちに対しても自分ができることならなんでもやろう!と決めていた.
そしてなんと,僕が手伝っていた家の方と,布団を貸してくれた池谷さんは知り合いだった.先日は池谷さんの家族の帰国パーティにも呼んでもらった.帰国したら泊まりにおいでね!と言ってくれたり,僕が作ったミートソースを美味しい美味しいと食べてくれるみなさんにもうなんと感謝したらいいか.
どちらの家族も本当に素敵で,その場にいられたこと自分が幸せであることを強く感じた..
人が与える力
日本人の家族との出会い,そして子どもたちとの出会いは,「僕も人に何かができる」ということを教えてくれている.「ありがとう」「助かったよ」「楽しかった!」という言葉全てが,僕が存在していることを認めてくれている気がする.
僕のドイツのお母さんは,いつでもうちでご飯食べて!と言ってくれる.「このご時世,若者が外に出なくなっているのに貴重なんだよ.」とお母さんは話すんだ.困ったときはいつも助けてくれる本当のお母さんみたいな存在.
様々な志を持ち海を渡ってきた同志たちもいる.それぞれの思いを胸に帰っていく者,残って大学進学を志す者,みんな素敵な目標や夢を持ってドイツで出会った.熱い話を繰り広げたこともあるし,くだらない話で大笑いした日もある.
日本にいたら一生会っていなかったはず.
でも,ドイツに来たから出会うことができた.
池谷さんの奥さんがこんなことを言っていた.
「私は早く帰りたい派だったけど,ここでの出会いは本当に素敵だった」
僕のベビーシッター先のお母さんは最初会ったとき,「ドイツ語なんてわからないよ.」とこれからの生活に不安を抱えていた.でも,子どもが幼稚園で頑張っている姿を見て,私ももっと頑張ろうと思ったと言っていた.
人は,知らぬ間に,誰かに影響を与えるもの.そして人から影響を受けるもの.その影響を受けて成長し,ときに悪い影響を受けて失敗することもある.でもその失敗も自分の成長につなげることができる.
マラソンの35キロ地点.心が折れてギブアップしたくなる.聞いている音楽ですら雑音に聞こえてくる.残り10キロもないのに,足は前に進まない.そんなとき力をくれたのは,沿道で応援してくれている街の人たちだった.不思議と身体が動くようになる.そのとき,人の力ってすげえなと涙が出そうになった.
自分には何もできないと,そんなことを感じている人がいるかもしれない.でも必死で日々を生きていると知らぬ間に誰かに影響を与えている.僕は,そうやって人に影響を与えられるような人になりたい.
この人に会ってみたい,この人の話を聞いてみたい,と思われるような人になりたい.
そういう気持ちを教えてくれたのは紛れもなく,ドイツで出会った日本人であり,そんな人たちとの奇跡の出会いを生んだのは,僕がドイツに行くと決めたからだ.
必ずどんな出会いにも意味があると僕は思う.