子どもたちから奪ってはいけないもの
「便利,簡単,楽」が生み出し,取り去ったもの
僕は想像できない.
スマートフォンなしで海を渡ってきた僕たちより上の世代の挑戦者たちの苦労を.
Google mapは海外だろうと正確に位置情報を割り出して目的地への行き方を教えてくれる.
Youtubeは日本のお笑いやアニメを見せてくれて,海外生活のストレスを取り払ってくれる.
SNSアプリケーションは情報だけでなく,インターネットさえあれば,無料で電話やメッセージを送ることを可能にしている.
これらなしに,日本から海を渡り海外に出てきた人は,紙の地図を手に持ち,わからないことは道ゆく人に聞く,日本の情報は英語やその国の言語で書かれた雑誌や新聞などで手に入れる.日本にどうしても伝えたいことがある場合は,手紙を送るということをしていたのだ.
それは大昔の話ではない.つい10年,15年前の話なんだ.
この「便利,簡単,楽」は僕たちにすごい能力を持たせたわけだ.
しかし,いいことばかりだったのだろうか.本当にその手段に頼りきって生きていいのだろうか.先人の苦労して行なってきた行為をもう必要ないからとやらなくなっていいのだろうか.
僕が学ぶ,「バルシューレ」というもの
バルシューレとは,ドイツ語でBall schule,英語ではBall school .子どもたちが種目などにかかわらず,ボール運動能力を身につけるための運動教室である.
僕は現在,このバルシューレが生み出されたハイデルベルク大学の中で,世界中にこのバルシューレを推進している「バルシューレ・ハイデルベルク」という機関でインターンシップを行なっている.
ここで学ぶために僕は今回ドイツにきている.
バルシューレは,
ベビーバルシューレ(1歳半から3歳)
ミニバルシューレ(4歳から5歳)
バルシューレ(6歳から8歳)
というような形で分かれている.
バルシューレとは大学院の時に出会い,最初はどんな競技だろうかと思った.すると実は競技ではなく,バルシューレとはボール運動全般に必要な能力を,ボールや様々な用具と親しみながら身につけていく,ball school のことだったのである.
このバルシューレを知ることによって,現状の日本が抱えているスポーツや部活,体育に対する問題を考えるようになった.
まず,「やりすぎ問題」である.
皆さんの多くの人がスポーツに限らず部活動を経験してきたのではないだろうか.そしてご存知の通り,部活動は学校という社会の中で行われるものである,
週にどれくらい活動していただろうか?
僕は中学校の時はクラブチームでサッカーをしていたのだが,その時は練習は平日週2回,土日は練習か試合だった.高校の時は部活動でサッカーをしていたのだけど,1年生の時は週7回で休みは月に1回くらいだった.でも高校の時のサッカー部は他の部活動に比べて少ない方で,野球部なんか週6だったけど土日は朝から夕方までびっちり練習していた.吹奏楽部も同じように土日ずっと練習していて,毎日練習中に素敵な音色が聞こえてきていた.
そしてこの回数は何を生むのか.果たして技術は向上するのか.仲間とは家族みたいになれる?
僕がよく見ていたのは,
「今日は休みだ〜!!」
という部員みんなの声であった.
ここでドイツを引き合いに出したいと思う.
ドイツでは多くの子どもたちがSport Fereinという地域のスポーツクラブに所属してそれぞれの競技を行う.これは子どもだけでなく大人もおじさんおばさんもSport Fereinで自分の好きなことに時間を費やす.学校は早いところで昼,遅いところで2時頃には終わり,先生方も帰るから部活動の指導なんてしない.そしてクラブの活動も多くても週に3回である.
日本のスポーツを牽引しているのは現在,部活動であるのは間違いない.年始の大学対抗箱根駅伝も,高校サッカー選手権も,夏の風物詩甲子園も.
そして彼らは「最後の夏」「引退前の最後の試合」「最後の走り」などと言われる.そう,多くの人が若くして自分が好きで始めたはずのスポーツをまだ体が動くのにも関わらずやめてしまうのである.だって,辛かった練習から解放されるのだから.
おそらくその感覚はこっちの人たちの感覚の中にはない.好きなら続けるし,飽きたらやめる.練習しすぎて嫌になるなんてことも本来であればおかしな話だと思う.「やりすぎ問題」は,子どもがスポーツから離れてしまうという大きな問題を抱えている.
バルシューレは,身体を動かすことは楽しい!という思いを一番に大切にしている.子どもたちは週に1回約45分のボール運動の時間をとても楽しみに来る.この楽しい!もっとやりたい!という思いが生活とスポーツを共存させる最も大切な思いだと僕は考えている.
「創造する」という人間固有の能力
バルシューレのことを語る上で欠かせないのが,「創造性」という言葉.バルシューレ開発者のKraus Roth博士もボール運動における「創造性」の育成をバルシューレプログラムに組み込んでいる.
バルシューレでは指導者はあまり指導をしない.
ん?指導しない指導者?
ちょっと意味がわからないですな.
指導者はメニューを組んだり,場を設定したり,ルールも作るが,基本的に課題の解き方は教えない.子どもたちの発想から次のメニューを考えることもある.
指導者の考え方を押し付けたりはしないのである.
ここで僕がドイツで出会ったドイツ育ちの子どもたちの話を聞いてほしい.
Kくん(5歳)
彼の家にはテレビもスマホもタブレットもない.お父さんとお母さんは古いものが好きで,昔のものを本当に大事に使い,子どもたちも素敵なモノに囲まれて生活している.いつも絵本を読んだり,トミカを使ったりして遊んでいる.
そんな彼のうちに遊びに行った時,折り紙で遊んでるかと思ったら,今度はハサミと紙で何かを作り始めた.
「恐竜ができた!」と言うと,その紙の恐竜で街を破壊するように遊んでいた.
僕はその光景にとても驚いた.誰も「恐竜を作ったら?」なんて言ってないし,「紙で何か作りな」とも言っていない.お父さんは「子どもは紙とハサミさえあれば,なんでも作るよ」と言う.
Sちゃん(6歳)
急にアンパンマンで遊ぼうと言うSちゃん.何して遊ぶのかと思いきや,
「下は火事でもうダメだから,アンパンマンが向こうにいる人形を全部空に避難させなきゃ!」
僕がSちゃんを抱っこして奥にあるぬいぐるみを空を飛んで助けに行くという遊びだった.ちなみに空とはベットの上である.落ちた何個かのぬいぐるみは残念ながら死んでしまった.
2人とも誰にも言われず,自分で考えて,恐竜をあるモノで作り出したり,自分なりの空想の世界で演技して遊んでいた.僕はその発想の豊かさ,創造性に本当に驚かされた.
知らぬ間に大人のものさしで子どもを測っていないだろうか.子どもたちの思考を狭めてはいないだろうか.やりたい!と思ったことはなんでもできるし,できないことなんてないんじゃないだろうか.それが創造力の先にある可能性ではないだろうか.
僕はこの創造性を高めるバルシューレの理念は日本で子どもと向き合っている全ての大人に知ってもらいたいなと思っている.スポーツに限った話ではなく,どんな分野でも活用できる考え方である.子どもの創造性を壊さない教育をもっともっと学んでいこうと思う.
こんにちは!
ドイツの子供たちの創造力を豊かにしたきっかけっていうのはバルシューレだったと感じていますか??
せっかくコメントしてくれていたのに気づかなかった〜!
決してそんなことはないと思うよ!ドイツの中でバルシューレはそんなに有名ではないからね.学校の中に入って授業形態を見たわけではないし,わからないことも多々あるけど,外遊びをしている子が日本より多いのと,カードゲームなんかが充実していて,知育のようなこともしているね.