ドイツのお母さん〜遠慮なんて意味がない〜
マザーテレサのようなドイツのお母さん
日本食が恋しい人,日本にいる家族が恋しい人.海外で生活していれば,必ずどこかで感じる日本への恋しさがある.新鮮な魚が食べたかったり,お味噌汁が飲みたかったり,色々だと思うが,僕はあまりそんなことを考えずにドイツでの生活を過ごしてきた.
それはなぜか.
もちろん日本にいるときから,日本食をそんなに好んで食べてこなかったというのもあるけれど,それ以上に,日本の家庭の味,雰囲気を常に感じることができていたというのが大きいと思う.
それが菊池さんのおうちである.
菊池さんとは,ハイデルベルクで知り合った日本人の,のぶくんの影響で知り合って,それから,ビザで困っているとき,外国人局の担当者に電話してくれたり,ドイツの森のようちえんに通っているお母さんと繋いでくれたり,本当にお世話になった.
そして何より,毎週のように連絡をくれて,ご飯食べにおいでと言ってくれた.毎週,菊池さんのうちでご飯を食べることは,僕にとってそこでの時間は1週間の楽しみになっていた.
菊池さんはかれこれ,20年近くドイツに住んでいて.日本の企業に勤めている.旦那さんはエジプトで研究滞在をしている考古学者である.娘さんのさきちゃんは,英語の幼稚園を終えた後,ドイツの現地の小学校(Grundschule)に通い,現在1年生である.基本的には菊池さんとさきちゃんの2人暮らしで,さきちゃんはよくお母さんのドイツ語の発音を直している.すでにドイツ語,日本語,英語を話すトリリンガルである.
ドイツで遠慮は意味がない
これは菊池さんの口ぐせみたいなもので,「ドイツで,遠慮をしたって意味はないし,自分が損するだけだから,遠慮はするでない.」とずっと言っていた.そう言って,すごい量のご飯をいつも作ってくれていた.例えば,巻き寿司を用意してくれていて,さらに数々のおかずと,炊飯器の中にもご飯である.
なぜそういうのか.こんな話がある.
ある日本人が,ドイツ人に,
「これ食べてみなよ!美味しいから.」と勧めた.
すると,そのドイツ人は,
「うーん,いらないかな.」と言った.
それに対して,日本人は彼が遠慮しているのと思って,いいから食べなよ.と勧めると,そのドイツ人は怒ってしまったらしく,あとから
「なぜいらないと言っているのに勧めてくるんだ」と言っていたとか.
これは決して全てのドイツ人に言えることではないが,多くドイツ人が素のまま生活しているため,お世辞を言う,遠慮するというようなことは少ない.自分が欲しい時は欲しいと言うし,いらないときはいらないというのが,普通である.
よく日本ではあることだけど,皿には残りが一個で,みんなが食べないということがあるけど,ドイツではそういうことは稀だ.よく菊池さんは「遠慮のかたまり」と呼んでいた.だから菊池さんのうちに来る人たちはみな,遠慮せずたらふくご飯を食べていく.
感謝しても仕切れない思いと,自分もこうやって人に遠慮しないで食べろ!と堂々と言える人になりたい.
最後の晩餐
僕はかれこれ,20回ほど菊池さんのうちに通ったわけだけど(ご馳走になりすぎ),最後はパパともゆっくりお話しすることができて,もちろん美味しいご飯もいただいてとても幸せな思いだ.
さらに最後には,なんとも嬉しいプレゼントもいただいた.さきちゃんが作ってくれたのは,お手紙で,みんなの名前とメッセージが書かれたものだった.何が嬉しいかというと,さきちゃんは今年の4月まで自分の名前の「さ」と「き」しかひらがなを書けなかったのに,メッセージをすべて日本語で書いてくれていた.出会った頃と比べて,子どもってこんなに成長するのかと驚きを隠せなかった.いつもは僕にだけ意地悪して,ゲームで僕が負けたら大喜びするさきちゃんだけど,心が温まるプレゼントだった.さらにこれは裏話だけど,本当は僕にマフラーを作ると意気込んでいたらしく,ママに1週間はかかると言われ,それでも作ると言っていた.でもなかなか準備をする時間もないまま時間が経って,結果作れなかったみたい.その話だけでも僕が喜ぶのには十分だ.
お母さんからは,エプロンとカバンをいただいた.驚くなかれ,なんとこちらも完全に手作りだ.サッカーボールの布を使ってドイツの国旗まで入れてくれて,僕が料理するのが好きなのも知ってエプロンを作ってくれた.そして壊れたら直してあげるからいつでもおいで,と言ってくれた.僕にとって本当にドイツのお母さんであり,一生感謝することを忘れてはいけない人だ.そんな人に,こんな故郷か遠く離れた地で出会えたことに本当に感謝したいと思う.