子どもたちを認めるということ
子どもたちとの最後のサッカー
6月4日,Fußballschule の子どもたちとの最後のサッカー.彼らとは特に思入れが強い.なぜなら僕が唯一ドイツ語で実際にバルシューレの指導をしたグループだからだ.
初めて参加した時,
「新しいコーチ?」
などと言ってくれて,さらに僕からの褒め言葉がとても嬉しかったと言ってくれたことを今でも覚えている.
その時の僕は本当に簡単な褒め言葉しか使っていない.
彼らは7歳,8歳で,サッカーに特化した形のバルシューレに参加している.いつも僕の世話をしてくれているMauriceが教えていて,一緒にサッカーをしてからもう2年くらい経つようだ.バルシューレだけではなくて,地元のクラブにも入っていて,おそらくサッカー漬けの毎日を送っているのだろう.まさに「ドイツのサッカー好きな子どもたち」という感じだ.
今日は残念ながら,Mauriceが出張でいなかったから,代わりにLucyが入って,僕はそのサポートをする形になった.45分しかないので,ここではいつもやっている4ゴールのゲームを行なった.この日は2人休みだったから4人だけで僕とLucyを入れて6人で試合を行う.毎回のことだけど,彼らは大体チーム分けで揉める.今回はどっちのチームが僕を取るかで揉めていた.Lucyはこの子たちを見るのが初めてだったから,みんな僕のことを取りたがるのはしょうがなかった.こういう時に自分がドイツ語で子どもたちが納得するような答えを言えないというのは,とっても悔しいけど,おそらく日本語でも難しいだろう.とりあえずチームを分けて試合を始めるが,1人の男の子Rが開始からずっと文句を言いながらプレーしている.
味方のミスに対して,
「君のプレーは最悪だよ!」
などと言っている.
本当はここで,それは違うよ.と伝えないといけない.いつもならMauriceがこういう時はきつく言うけど,Lucyも彼らと信頼関係があるわけではない.こういう時に語学の壁は本当に悔しいものだ.僕の持っている語彙力で,なんとか伝えるけど,なかなかわかってくれないし,うまくニュアンスが伝わらない.とにかく,子どもたちにはプラスの声かけをし続けた.
一度給水タイムを挟むと,子どもたちは口々にこんなことを言う.
「もっと本気でプレーしてよ!」
「シュート打てる時は打ってよ!」
「次は僕たちのチームに来てね!」
子どもたちと一緒にプレーするのもとても難しい.どのくらい自分がプレーしたらいいのか,チーム分けの段階でもしかしたら僕たちは入らない方がいいのか.もしかしたら今回のパターンだと入らない方が良かったかもしれない.子どもの心理的なものも考慮して一緒にサッカーをどう楽しめるか考える必要があるなと感じた.
終わってから,「今日で君たちとサッカーをするのは最後なんだ」と伝えた.子どもたちは割とキョトンとしている.最後は子どもたちと一緒に写真を撮ったんだけれど,最後まで,今日怒ってしまった子は一緒に写真を撮ってくれなかった.子どもたちのそういうところもまた,純粋でいいなと思う.嫌な時は嫌と言う.
見てよ!
そんな風に不機嫌になってしまう子もいて,Lucyは「いつもあんな感じ?」とあまり手応えを感じていないようだった.Mauriceも言っていたが,毎回この年代の子たちはチーム分けで揉める.これは仕方ないことだ.子どもたちにも誰とチームになりたいという思いがあり,得てして上手な子どもたちは,別のうまい子どもと一緒のチームにはなりづらい.そういう思いや気持ちを指導者は組んであげる必要があるし,それを考慮して,ゲームがうまく回るように分けてしまうこともある.今回のケースではもしかしたら,自分はゲームに参加しない方が良かったかもしれない.そういう部分もこれからもっと学ぶ必要があるなと思っている.
この日怒ってしまった子の話はまだ続きがあって,会ってすぐに,
「ねえ,たくみ!見てよ!」
と声をかけてきた.そして3週間前に僕が教えた技をやって見せてくれたのだった.僕の言葉や行動を受け止めて,素直に練習して,やっとできるようになったんだなと.こういう時は目一杯褒めてあげるのがきっと大事なんだなと思う.その子は僕とサッカーができるのをとても楽しみにしていたから,この日は捻くれてしまったのだろう.
認めてもらえることはとても嬉しいこと
子どもたちにスポーツを教えていると必ずある,
「見てよ!」
という声.子どもというのは自分の成果を認めてもらいたいものだし,それは大人もそうかもしれない.やっぱり誰かに褒められるというのは嬉しいものだし,次のアクションへとつながっていく.褒めるだけでなく,その子を認めてあげるというのはとても大切だし,スポーツの指導者だけでなく,学校の先生も,親も,「子どもを認める」ということをもっともっと考えるべきだと思う.子どもたちは子どもたちなりにメッセージを発信している.それを周りの大人は察知して反応して関わってあげないといけない.1つ1つの認めるという行為が子どもの成長に大きく影響すると僕は思っている.
認めるという行為は何も「できた」ことを,褒めるだけではない.たとえできなかったとしても,チャレンジした姿勢,少しでもよくなったなら,それを伝えてあげる,もう少し!という言葉だって,子どもからしたら「この人は見てくれているな」という認められている感につながっていると思う.
そんなことをもっともっと多くの大人に伝えられる,自分が率先して子どもを認めることができる指導者になっていきたいと思う.