聴くは一時の恥,聴かぬは一生の恥

評価の悪魔

皆さんは,人の下す『評価』をどれくらい信じていますか?

 

そしてその評価にどれくらい振り回されていますか?

 

『聞くは一時の恥,聞かぬは一生の恥』という諺がある.私はこの諺を今まで,例えばわからないことが会話で出てきた時に,そのわからないことを聞かないと一生後悔するという意味だと思っていた.しかし,「聞く」という漢字を「聴く」に置き換えるとどうだろうか.人の話をしっかり聴かなければ,そのことについてずっと本当の意味で知ることはできず,恥をかくという意味で解釈できるのではないだろうか.

 

こんな経験はないだろうか?

 

最近はインターネットショッピングなどでも,Googleでどこかのレストランに入るときでも,レビューを参考にして物を買ったりお店に入ったりする.これは素晴らしい機能であり,私もよく参考にする.しかし,例えば星4.5の評価がついているお店に入ったにもかかわらず,「あれ?あんまり美味しくない」ということもある.逆に「使いづらい」というレビューがついているものでも,自分にとっては割と良かったなんてこともある.

 

『聴く』とは,さまざまな情報を得て,自分で考えて選択するという意味があると私は感じている.レビューなどの人が何かに下した評価も全て情報だが,それを自分の中に落とし込んで,何を信じるか自分で判断することが求められている.


自分のことは自分で決める

私はこんな経験をしたことがある.

 

あまり話したことのない知り合いAがいて,その知り合いのことをそれなりに知っている私の友達Bが,「Aは変わっていて,結構変なところもあるから,拓未とはタイプが違うかもね〜.」と言っていた.私はそれを聞いて,「Aはそういう人なんだな」と考えていた.しかし,実際にAと会って話してみると,本当にたくさんのことを考えている素晴らしい人で,私は今でも信用を置いて相談事をしたりもしている.

 

どんなものにも,良い評価と悪い評価という二面性は存在するものだ.それを見る人が多ければ多いほど,様々な意見が出てくるものだ.そして下された評価には,そのものの良し悪しだけでなく,人の嫉妬が影響することもあるし,日本ではよく言われる「出る杭は打たれる」などという文化的な側面が合わさることもある.

 

何が言いたいというと,

人の意見はあてにはなっても,頼りすぎるものではない.

ということである.

 

今までの自分は、いろんな人の話を聞いて魅力的だったら飛びつくというタイプだった。しかしあるときに気づいたが、大事なことは「自分は何がやりたいのか」から逆算することだ.もちろんやりたいことを見つけるためにいろんな人の話を聞くということがあっても,そこから自分で何度もそれを問い続けるという作業は不可欠.たくさんの情報を得て、自分のやりたいことを探すという作業が大切になる.そこに人からの評価なんて関係ない.


人に言われたことを鵜呑みにしてしまうと…

ここでまたしても私の好きな漫画,「ワンピース」のあるシーンを引用したい.

麦わらの一味は,偉大なる航路グランドラインに入ってすぐ,ウイスキーピークという島でバロックワークスという犯罪組織に狙われる羽目になる.そこで当時バロックワークス社の副社長をしていたニコ・ロビンに「エターナルポース」というある島へのコンパスを渡されるのだが,ルフィはそのコンパスをぶち壊す.ニコ・ロビンが言うにはその「エターナルポース」がなければ,次につく島はとても危険な場所「リトル・ガーデン」.仲間たちはルフィがそのコンパスを壊したことを怒るが,ルフィは,「この船の進路を勝手に決めるなよ!」と逆に怒るというシーン.

 

誰かが,「あそこは危ないところだよ」と言えば,多くに人がそう思う.「あのお店は接客が悪い」と言えば,行くことを止める人がいる.それが現代の評価のシステムでないだろうか.基本的にルフィはそういうものを信じないし,自分で見たいという思いが強い.現に「リトル・ガーデン」という島で,素晴らしい巨人たちに出会うことになる.

 

人の数だけ意見があるし,見方がある.だからこそ,聞いて鵜呑みにするのではなく,自分で考えて判断することが必要だし,その意見を聞いても時には参考して180度違う方向に行ったっていい.それが「聴く」ということではないだろうか.

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