学会に参加して感じた,道外との差

研究は侮れないもの

かなり久しぶりの投稿になります.

最近はやっと自分の進むべき道が決まってきて,やることがたくさんできた.一日一日自分の目標に向かっていけることより,幸せなことなんてないんじゃないかと最近は思っている.

 

さて,いったいタクえもんこと,梅村拓未がどこへ向かっているかを今回は説明したい.そして,向かっている方向を知って,僕に力を貸してくれるという人は大いに貸してほしい.

 

現在,僕はスポーツ教育学という学問を専攻する大学院生.大学院生の仕事は「研究すること」だと個人的には思っている.じゃあ「研究する」ってどういうことかっていうと,自分で立てた課題を何らかの手法を使って結果を出し,自分が説明するときの根拠にすること,そして世の中を前に進めてきたのはやはり研究である.

 

とは言ってもわかりづらいので,

 

例えば,

 

子どもたちに宿題をさせる時,多くの大人が「宿題をやりなさい!」と言うけれど,怒られて積極的に子どもたちが宿題に向かうかという課題がある.

 

これに対して,過去の研究者は実験を行い,子どもたちが今していることをもっとさせたいときは「褒めるべき」という結果を出している.

 

すると,全員の子どもには当てはまらないけど,我が子に,自分のクラスの子に宿題をしてほしいと思ったとき,「褒めた方が効果的だよ」という意見の根拠になる.

 

研究とは,何かしらの意見に根拠をつけるものだと思っている.

世の中は基本的には何らかの確からしい根拠をもとに動いているから,研究が止まってしまうということは,基本的に人の思いや感情.要は主観的なものさしだけで測ろうとしてしまう.

 

そんな中,僕は学校体育や運動,スポーツの分野において,先生方や指導者が根拠として使える,何らかの問題を解決できる手段として扱えるものを研究していきたいと思っている.

 

それが僕が考えている,先生方や指導者へ影響を与えていく,「方法」である.

研究をしながら,自分の生活も確保していくために,大学の先生を目指しているといった感じである.


大学院って何するところ?

大学の先生なんてどうやってなるのか。

 

こんな問いを僕もずっと持っていたが,実はその可能性を向上させることはできる.

その可能性を上げるためには,「実績をあげること」

 

これが絶対条件である.

要するに,「結果を出す」ということが求められる.

 

研究の世界での結果は,何も勝負の結果,勝ち負けではない.

自分で研究したものを,学会という発表会のような場所で発表し,

それだけでなく論文として投稿する.

 

ある意味これをやるだけだ.

 

しかし,今までの僕は研究のやり方がわからなかった.要するに一歩目が出ない.これは,うーん,いい例えが出てこないけど,研究のやり方がわからない人はとりあえず大学の先生になることはない.大学院とはその研究のやり方を学び,自分の専門とする場所がどこなのか見定めていく場所だと思っている.

 

大学院は,自分の興味のある事象を学術的に明らかにする方法を学んで,発表し,論文にするという意味では,研究者の卵であると僕は思っている.


学会に参加して感じたこと

今回は早稲田大学で行われた,日本スポーツ教育学会に参加してきた.

今回は参加したものの発表はなし.たくさんの先生方,大学院生に刺激を受けることができたと同時に,まだ同じ土俵に立てていないという思いもある.

 

質問しようが,ポスターの前で議論しようが,僕が研究発表していないと,何をしている誰なのかがよくわからない.こういうときは肩書きなんて関係なくて,用は結果だなと思ってしまう.

 

そんな僕にも今回はミッションがあって,道外で一緒に研究する仲間を増やすということ.どうしたって1人でずっと研究はしていけないし,残念ながら,僕の領域で北海道で一緒に研究している大学院生や若手の研究者は近くにいない.東京や大阪の大御所についている大学院生たちは,将来研究職を目指していて,大学の先生になることを視野に入れながら活動している.

 

決して環境のせいにはしたくないけど,もし北海道の教育をもっとよくしようと北海道教育大学が意気込むなら,大学院教育はとても大切.今後たくさんの若手が育つように,僕が関東や関西で研究者を目指している学生と繋がっておく必要がある.そうすることで,大学院生同士が切磋琢磨してどんどん切り開いていく環境ができるはず.

 

そうやって全国の学会で肩を並べてやっていかなければいけないな,と今回の学会では強く感じた.

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