自分の「才能」を信じないこと
自分の才能
僕は結構,「コミュニケーション能力が高いね」とか,「誰とでも仲良くなれるよね」と言われる.人前で話したり,こうやって文章を書くのも嫌いではないし,どちらかというと,褒められることの方が多い.
最近まではそういう自分の「能力」みたいなものに自信を持っていた.勉強が特別できるわけではないけれど,人の前では強さを発揮できるんだと思っていた.
実際のところ,ドイツにいた時も,友達は結構すぐできたし,ドイツ語も自分のコミュニケーション能力のおかげで全くの無勉強で来た割には話せるようになった.
小さい頃から,いろんな人と話してきたし,小・中学生の時から人前で話すことも度々あったから,今の自分の「能力」がついていると最近まで思っていた.
ただの過信
結論から言うと,上に述べた自分の「能力」みたいなものは,大したことはないと今では思っている.確かに周りのいろいろな人から見ると強いのかもしれない.だが,大したことはない.
決して悲観しているわけではないが,僕は意識せずとも身についた「才能」や「勘」なんて,なんの頼りにもならないと思っている.いや,思うようにした.
なぜなら,自分と同じくらいの能力を持っているような人は,少し外に出ればいくらでもいるものだ.しかも,そういう人は,僕には持っていない別の強みも持っているものだ.そうなると,全く太刀打ちができない.
そして何より,そこに自信を持つことが「井の中の蛙」の状態を作ることも間違いないと思っている.
ドイツでの語学学校での話だ.
語学学校では,大体同じくらいの言語レベルの人たちと一緒の教室で勉強する.だから,語学的な能力の差はその段階でほとんどないと言っていい.そのときにあらわになるのが積極性やコミュニケーション能力だ.彼らは文法の細かい間違いなんて会話の最中に気にせず,何度もトライする.そして,どんどん力をつけていく.しかし僕は,間違えたらどうしようと考えて,会話に入るのが一歩遅れるということが何度となくあった.
そのときに,「僕の能力なんてこんなものだから,できることをしっかりやろう.」と思うことで,勉強に力を注ぐことができた.
自分が自信がある部分というのは,周りの友達だけ見ると,秀でている可能性がある.しかし,少しでも外に出てみると,それはなんでもない普通の能力であり,自慢できるものでもなんでもない.
自分の力はこんなもん.だからこそ・・・
ではどうしたらいいのか.
過信せずに,とにかく努力をし続けること.そして結果を出すことだと思っている.
ドイツに行った時,僕はドイツ語が全く話せなかったが,帰る頃にはかなり話せるようになっていた.それをいろんな人にすごいと言われた.だが,来る前からドイツ語の準備をして,文法だけでも勉強してきた人からしたら,そんなこと自慢できるものではない.どう考えても準備してきた人の方が,順応するのが早く,語学習得も高いレベルまで見込めるだろう.
早く身につけられた,大した努力はしていないというのは,一見すごい才能のように聞こえるが,もともと準備していたら,もっとできるということなのだから,全く自慢にならない.
だからこそ,なんとかなるさではなく,見通しを持って準備すること,努力することが大切なのだと最近やっと気づくことができた.
僕の周りの友達は,もうすでに働いている人がほとんどで,友達に研究の道に進んでいる人もそんなにいない.だから,「学会」「論文」「研究」などというと,頭がよく聞こえる.
たまに自分のやっていることは特別だと勘違いしてしまうことがある.しかし,大学院に3年もいるのに,未だ業績といえば,地方学会での発表だけ.
世界には,黙々と業績を出し続け,研究を続ける若い人たちが本当にたくさんいる.
それはドイツで見た若者たちが物語っている.毎日自分の専門分野について勉強していて,恵まれた環境で大学院生活を送っている.
努力せずに身につけてしまった能力に過信することは,自分の成長を止めることになってしまう.だからこそ,定期的に自分の居心地の悪い世界へ出て,自分の先を行っている人たちから多くを学ばなければいけない.
それこそが常に学び続ける人であると思う.
新型コロナウイルスのせいで,いろいろな調査が飛んでしまって,なかなかモチベーションが上がらないので,奮い立たせるために書いてみました.笑