僕とロードバイク(前編)

ロードバイクとの出会い

2014年,夏.

 

僕がロードバイクと出会った最初のきっかけは,Jiziの船岡店長だった.

白くて美しいボディを持つロードバイクを啓太と僕に貸してくれて,ロードバイクの世界に引き込んでくれたのだった.それが大学2年生,20歳の時だった.

それからというもの,啓太と僕はずっとインターネットでどの自転車がいいのか,探し続けた.この時代だから,ロードバイクはインターネットで買うこともできて,3万円くらいから選ぶことができる.

 

僕たちの目的は,とにかくロードバイクというものを使って大冒険をすることだったから,走りやすくてハンドルがくるっと曲がっていればいいと思っていた.

しかし調べていけば調べていくほど,3万円くらいのロードバイクはロードバイクではないと言われていることがわかってきた.

悩んだ結果,釧路のスポーツデポの林さんのもとで,ロードバイクのエントリーモデル(約8万円)を一台ずつ買った.ドキドキしながら買ったあの感覚,ワクワクしながら無心になってペダルを踏んだあの時の感動は鮮明に覚えている.

あの時,僕たちは自由になった.


悲劇

それからというもの,自転車に乗るという行為自体が楽しくて仕方なかった.

小さい頃から自転車には乗っているが,乗ること自体が楽しいと感じたのは初めて補助輪を取ることができた幼稚園の時以来だったかもしれない.

ぐんぐん進んでいくロードバイクという乗り物の虜になっていた.

 

ロードバイクを買ってわずか1ヶ月,なんと知り合った人に自転車を2人とも盗まれてしまうという事件が起きた.その人は鹿児島から自転車で来たという人で,その時の僕たちにはすごくカッコよく映っていた.なんというか,そんな旅がしたいと僕たちは思って自転車を始めたからだ.

仲良くなったその人に,まさか自転車を盗まれるなんて全く考えてもいなかった.

その人は,本名も隠していて,釧路出身の人,鹿児島から来たというのは真っ赤な嘘だった.僕たちの自転車を2台とも盗み,釧路市内のリサイクルショップに売り出していることを僕たちは突き止めて,自転車は返還された.

 

それは僕たちにとってまさに悲劇だったが,自転車が返ってきたことで,やっと旅に出ることができた.4日間で600キロ漕ぐという,自転車素人にとっては,気が遠くなるほどの距離だ.


道東の魅力を心ゆくまで堪能した4日間

1日目,釧路から屈斜路湖を通って斜里町のライダースハウスまでの約160キロ.漕ぎ出しは意気揚々として,これから始まる大冒険に心躍っていた.しかし,いつになっても宿にはつかない.僕は道がはっきりとは頭に入っておらず,いつまで走っていればいいのかわからない感覚に襲われた.レースでもないのに,圧倒的に啓太と脚力が違うことを見せつけられて,心が完全に折れていた.

前を走る啓太の姿がどんどん小さくなり,雨も降り始め,止まってしまいたい気持ちを抑えて初日を終えた.体は1日でボロボロになった.

 

2日目,疲れはまだ残っていたが,今日は120キロと少し距離が短い予定だった.初めて本格的な峠を登った.何度も続く知床のつづら折り.気の遠くなるような果てしない登りだった.登坂能力も啓太の方が上で,またしても孤独との戦いだった.この自転車旅では,寝袋やテントなどの全ての荷物を自転車にくくりつけて走っていた.そのため,軽さが自慢のロードバイクはとんでもなく重たくなっていた.それもあって,登りは鬼のようにきつかった.

しかし,この日の後半,知床峠を抜けて羅臼町から標津までの道.僕はなぜかわからないが,とても体が軽く調子がよかった.もうすでに100キロほど漕いでいて,峠も越えてきている.しかし足がよく回った.ぐんぐんスピードも上がって走っていた.すると後ろにいたはずの啓太がいない.止まっていると追いついてくるが,また離れてしまう.啓太は荷物が崩れてしまい,走るのに悪戦苦闘していた.

きっと啓太もまた,孤独との戦いがあったのではないかと思う.

3日目,ここまで走ってきて2人とも疲労はかなり蓄積されていたが,走り慣れたこともあって,2人とも温存しながら少しペースを抑えて走っていた.標津から根室を通って日本最東端の納沙布岬まで約150キロ.根室から納沙布岬までの厳しい風にも耐えて,なんとかたどり着いた.そこには同じように旅をする,言うならば旅の先輩が2人いて,一緒に語り合った.4人で朝早く起きて見た,日本で一番最初の朝日が今まで見たことがないほど綺麗だった.

4日目,最終日は納沙布岬から,霧多布岬を通って釧路へ戻る,これまでで最も長い190キロの道のりだった.途中雨にも降られ,牡蠣が食べられると思ってやっとついた厚岸の市場は閉まっていた.しかもまだ道のりが45キロもあるのに,厚岸を出る頃には空は暗くなっていた.疲労もピークを迎え,フラフラしながら真っ暗な道をなんとか走った.さらに,厚岸の山道ではこの旅で初めて僕の自転車がパンク.真っ暗の中,タイヤチューブを交換した.なんとか2人で先頭を交代しながら,僕たちは釧路にたどり着いた.

※僕が家についてまずしたことが,オムハヤシライスを作ることがだったということは,今でも2人の間で語り継がれる伝説だ.

 

この旅が終わるまでは,受験がうまくいかなかったせいで,北海道の東に願ってもいないのに来てしまった.そんな思いをどこかで持っていた僕.しかし,その時に見た「道東」という広大な自然は言葉では決して表現できないほど美しかった.そしてその感動を自分たちの足を使って味わっているという実感がさらに見える景色を美しくした.

それからも僕たちは色々なところにロードバイクで行き,「道東」という北海道が誇る大自然を堪能した.

ロードバイクを手にしていなければ,僕はもしかしたら,未だに釧路が嫌いかもしれない.

 

ロードバイクは北海道の雄大さを僕に教えてくれた素晴らしいアイテムだ.

 

◉次回

2度目の別れと新たな出会い

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