目的に向かっていく人たちへ〜生意気な26歳のぼやき〜
旅の醍醐味は新しい世界の扉を開くこと
このブログを書き始めたときは,これまでにしたことのない経験をすることが楽しくて,ときには辛くて,だから書き残しておきたいという気持ちだった.
すでにドイツから帰国してきて1年以上が経ったけれど,ドイツで親知らずを抜いた経験や道端で会った人とドイツ語で話して学校見学の約束をしたことなどは鮮明に覚えている.きっとドイツでの初体験の数々は20数年生きてきた僕の世界を一度壊すには必要不可欠だった.
ドイツでも言っている人がいたし,日本でも聞いた言葉がある.
それは「26歳までには海外に出るべき」という言葉だ.
旅に関する本を数々世に出している,沢木耕太郎も同じことを言っていた.
26歳になった最近はなんとなく実感として感じていることがある.おそらく多くの人は25歳くらいまでに大方のことが決まる.仕事,結婚,住む場所など.だから,26歳までにその決まりかけていることをぶち壊す瞬間があってもいいのではないかという言い伝えなのかもしれない.
沢木耕太郎の代表作である深夜特急は,沢木青年が26歳だった当時,日本からアジアを横断しヨーロッパへ旅をする小説である.今の時代とはまた違ったアジアの国々の貧富の差や,その当時でしか味わえない各国の魅力が描かれている.しかし何よりも面白いのは,沢木青年が別世界で一歩進めばぶつかる未知との遭遇が丁寧に描かれていることである.できるだけ安いホテルを探すという作業に多大な労力を費やし,移動はできるだけ安いバスや電車でそれらの情報を得るのにも一苦労.しかし,それも慣れてくれば少しずつルーティンのようなものになり,また新たな視点で別世界を見ることができる余裕が生まれてきたりもする.
26歳までに,日本で染み付いた当たり前を叩き壊すことがいいことか悪いことかはわからないが,少なくともその後の人生に大きく影響することは間違いないのかもしれない.
僕にとっての26歳のこの1年間をどう過ごすかが今後の人生に大きく関わってくるのかもしれない.
未知との遭遇は旅だけではない
帰国してから約1年間,「研究する」という大学院生として至極真っ当なことに注力してきた.これが初めてのことだらけで驚きの連続だったである.
統計学のことも本当にゼロから学んだ.質問用紙の作り方,先行研究の探し方や読み方,学会発表の仕方,スライドの作り方,発話やテキストの書き起こしの仕方,まだまだ数えきれないほど初めてのことをこなしてきた.
今では大学生にアドバイスをしたり,大学院生と指摘をし合ったり,論文も書けるようになった.
どこか遠くへ「旅に出た」というわけではない.とにかく研究での未知との遭遇が楽しかった.やったことがないことに挑戦し何度も砕けて這い上がってまた挑戦した.こんなことを書くとすごい頑張っていると思われるかもしれないけれど,途中でどこに向かっていいのかわからないときもあった.それでもなんとか前には進んできた.
僕にとって研究をすることは旅をすることと同じようなことで,未知との遭遇の繰り返しだった.やればできるようになることばかりで,できるようになれば,今度は気づかないうちに見方が変わっていった.
沢木耕太郎の旅を見ていると,自分が今進んでいる研究者への旅路に重ねてしまうことがよくある.
チャンスの女神
どこまで続いているかわからない道だとしても,目的がないときっとどこかで心が折れてしまう.
僕の目的については,もう少し先に進んでから話すことにしたい.
自分の目的を達成するためには,未知との遭遇を楽しみながら道を進んでいくことと,もう一つ重要なことがあると思っている.
それは「チャンスを逃さない」ということである.
チャンスの女神には前髪しかない.
ということわざを知っているだろうか.
これは,チャンスが目の前に来たときに掴まなければ,過ぎてしまったときにはもう遅いという意味である.
僕は基本的にチャンスは誰にでも訪れると思っている.出世のチャンス,自分をアピールできるチャンス,好きな人に気持ちを伝えるチャンスなど,なんでも同じだ.
そうだとしてもチャンスを掴めず後悔する人や,そもそもチャンスが来たことに気づかない人がとても多いのが現実ではないだろうか.そうそうチャンスで自分の打順は回ってこないものだ.だが,一度チャンスをものにして結果を残した人には,他の人よりも多くチャンスが回ってくるというのは世の常なのだろう.
なかなかタダでは来てくれないのが,チャンスの女神である.だいたい大きなチャンスが来る前には決断を迫られる.今年の春には,いくつか小学校などでの非常勤講師の話が来た.大学院生にとって先生という経験をしながら生活できるのは理想的なアルバイトだと言っていい.他にもためになるアルバイトの話はいくつかあった.
しかし,全て断ることにした.親には,暇しているなら働いたら?と言われた.
それでも働かないことを選んだ.
生活に余裕はないが,生活はできる.できるだけ予定は入れずに研究のことや調査のことで連絡が入ったらいつでも動けるようにすることが狙いだった.コロナ禍でのその我慢はなかなかのもので,自分が何者なのかよくわからなくなる日もあった.
いつでも暇であること.これは今年の僕の鉄則で,できるだけYesと答えらえるように準備をした.それがつまりチャンスを待つ準備だったことになる.
結果的に,本当にたくさんのチャンスをもらい,結果としても形になってきている.
自分が未だ経験していないことでも,自らの目的に必要であればやってみること,そしてその道程を楽しむこと.さらに,自分の時間を他人に渡さずチャンスを逃さない準備をすること.僕はまだ何も達成していないけれど,それがきっと多くの人が目的を達成するために必要なことだと僕が思っている.