2020年9月の締め括り
ドラマのような再会
今日は本当に感動的な出来事があったので,日記のように書きたいと思います.
最近は小学校の先生たちについての研究をしていて,たくさんの先生たちに協力いただいている.今度は幼稚園での研究もしたいと思っていて,ちょっと新しいプロジェクトを立ち上げることになった.
大人にとっても「時間」というものは何よりも大事なものだけれど,きっと子どもにとって大切でない時間などない.発達という側面から見たときに軽視できる部分など子どもの成長過程には1秒だってないのかもしれない.
特に幼稚園や保育園の子どもたちは,1人でできることが少なくて,保護者や先生たちに支えられながら少しずつ成長していく.
子どもが成長していく過程に「大人がどう関わるか」ということが極めて重要であると言える.
そして,その過程に直接的に関わる仕事が,「先生」という仕事なのだと思う.
自分の人生を振り返れば,幼稚園にも小学校にも中学校にも自分のことを親身に考えてくれる素敵な先生たちの姿があって,梅村拓未という人間の一部はこれまで関わってきた先生たちに作られているなと感じることがある.
だからこそ,小学生の時から学校の先生という職業に憧れ続けてきたのかもしれない.
今,先生という職業のことについて学んでいて,そんな素敵な先生になるだろう学生たちと関われていることはこの上ない幸せと言えるだろう.
とまあ,そのような流れで今僕は,先生という仕事をしている人たちを対象に研究をしているわけなのだけれど,今度は幼稚園の先生にお話を聞く機会ができた.
実は,一度幼稚園の先生たちが集まる講演会でお話しさせてもらったことがあった.そこには自分を教えてくれた幼稚園の時のW先生が来ているかもしれないという話があった.
しかし,そのときは会うことができなかった.
僕は幼稚園まで札幌に住んでいて,幼稚園の終わり際に引っ越したため2つの幼稚園に通った経験がある.どちらの幼稚園でも先生にも友達にも恵まれたいうことはよく覚えている.
札幌の幼稚園のW先生は,僕がその幼稚園を離れるときにカセットテープをくれた.そのテープには友達と先生みんなで僕に歌ってくれた歌が録音されていて,当時の僕は引っ越した先で何度もそのテープを再生していた.細かなことはあまり覚えていないけれど,本当に熱心に接してくれていたことだけは覚えていて,引っ越してからも年賀状のやり取りなんかをしていた.
僕にとっての初めての「先生」はそのW先生で,友達の誕生日もまともに覚えられない僕でも名前までしっかり覚えていた.
そして,今の調査の関係で,そのW先生にお話を聞くことになった.W先生の職場に自分が電話をし,今日20年ぶりに声を聞いた.これまで幾度となく電話をしてきたが,これほど緊張したことがあっただろうか.
電話の相手の声は間違いなくW先生で,なんだかとても安心して涙が出そうになった.
僕のことをはっきり覚えていただけではなく,僕の母の名前まで覚えていて,僕に送ったカセットテープの曲まで覚えていた.話を聞くとW先生は僕たちを持ったときが先生としての初年度で,本当にお父さんお母さんに支えられたのだとか.
次は直接会って,お話を聞くことになったので,5歳の頃の自分が少しは成長したというところを見せられたらいいなと思う.
スタートラインが少しだけ
僕にとってこの話は懐かしいだけの話ではない.
「ここまで来たのか」という実感がどこからともなく襲ってきた.研究をしていなければ職業上の同僚として会うことはできたかもしれないけれど,仕事の協力をお願いするなど考えられなかったと思う.
自分がどれだけ進んできたのか,少しだけわかった気がした瞬間だった.
まだ,スタートラインにも立っていない.けれど,これまではスタートラインすらどこにあるかわからなかった.どこに目的地に出発できる搭乗口に行けるのかさえわからなかったのに,薄ら搭乗ゲートが見えてきたという感じだろうか.
ずっとやりたかったことは,自分がたくさんお世話になった先生たちのような先生を育てる「教員養成」に携わりたいということだったのかもしれない.