新たな環境でのスタート
とても久しぶりのブログ更新となるわけで,ここ数ヶ月は本当に色々なことがあった.
大学院の修了と進学
大学教員としてのスタート
ざっくりと書くとこんなところだろうか.
自分の思いや考え,これからのことを整理することが大切であることは,よくわかっているつもりだったけれど,なかなかPCをタイピングする手が進まず・・・
それも,ここ数ヶ月が忙しかったからかというと,それはまた色々と違っていて,頭の中を整理することに戸惑っていたように思う.
この辺りで簡単に整理しておくことは,これからの自分にとっても大事なこと.
このブログを始めたのは,まさにそんな自分の思いを整理するための場として「書き残す」ためだったと今思い出しながら書いている.
修士課程の修了と博士課程への進学
大学院を修了したのは今年の3月.本当にたくさんの人のご指導,ご協力のおかげで修士論文を書くことができ,
大学院修士課程を終わることができた.
北海道教育大学には,全部で8年の在籍.長かった・・・
北海道教育大学での大学院生活は,僕にとって絶対に忘れてはいけないものだと思っていて,自分の人生の土台になることを学ぶことができた大切な場所だと思っている.
釧路でも岩見沢でも札幌でもそれぞれの場所でいろいろな人たちに影響を受けて学生生活を送ることができた.
特に札幌校に来てからの,約1年間は研究活動に打ち込むことができた.今振り返れば,その時々は辛いことがたくさんあって,夢の中にも研究のことが出てきて,それなりにストレスがかかっている時期もあったと思う.
そんな状態でも,辛い中に楽しさや充実感,何よりも自分が成長できているという実感があって,まさに「生きている」といった感じだった.
僕にとって最も辛いことは,作業が大変なことや,忙しくてやりたいことができないことではなかった.
「やるべきことがわからない」という状態が最も辛かったのだと思う.
持て余したパワーをどこにぶつけたらいいかわからないという感じ.でも,それを自分で見出していくことが人生の醍醐味なのだと思う.「やるべきことがわからない」と苦しんでいた時,どこか環境のせいにしたり,人のせいにしていた.
今ならはっきりと,「自分で見つけて進んでいくものだ」とわかる.
北海道教育大学での大学院生活では,「やるべきこと」が在籍していたギリギリの3月31日23:00まであった.
次の日から仕事という状況にも関わらず,幸せを感じていた.
でも,4月からの僕はある意味で,北海道教育大学で獲得してきた様々なものを忘れる必要がある.
いや,その幸せな感覚を塗り替えていく必要がある.
それはなぜか.4月からは北海道大学の博士課程に所属することとなり,新たな先生やゼミの中でやっていくからだ.
どうしても,人はこれまでの経験やノウハウにしがみついてしまうもの.しかし,そうした過去の蓄積は時として,新たなものを獲得する際の邪魔をする.
先生からの言葉もあり,北海道教育大学で身につけたものを一旦忘れて,新たな環境でこれまで以上のことを学ぶために,これまでの環境や得てきたものと距離をおくこととした.こうして,今までのことを断ち切り,新たな環境にまっさらな気持ちで飛び込んでいく,そんなタイミングは,もうこの先訪れないかもしれない.
すでに,北海道大学の博士課程に進学してから1ヶ月半が経った.
新しいゼミの中では,新たなメンバーと調査をしたり,今後の計画を練る段階への進んできている.
発達心理学のゼミということで,これまでとはまた違った専門分野の人たちとの議論にいつも刺激をもらっている.
この環境にしがみつき,様々な刺激を得る中で,さらにレベルアップを図ることが,今後の人生に大きな影響を及ぼすと思って,過ごしている.
大学教員としてのスタート
進学と同時に,僕は大学教員になった.
なぜ,僕は大学教員になろうと思ったのか.それは,北海道の教育に影響を与える人間になりたかったから.もっと言えば,教員養成に携わって,「子どもを育てる先生」を育てる仕事がしたいと思ったからである.
この年齢で,大学院を修了してすぐに,大学教員のポストに就けたことは,本当に運が良かったと思う.多くの大学院生や研究者がポストにつけるかどうかわからない状態で,研究を続けているというのがこの業界の現状である.
僕が大学教員という道に進むことができたのは,何よりもその道で生きていくことを間近で見せてもらったことが大きい.そのおかげで,より具体的に大学教員という道をイメージすることができたと思う.
こんなチャンスをもらえて,自分がやりたいと思っていた「教員養成」に携われるのだから,自分がこれまで経験してきたや研究してきたこと,学んでいることをできるだけ目の前の学生や先生方に伝えたい.
大学時代からその思いは変わらないかもしれない.
自分が経験したことや感じていることを,人に伝えたいと思っていた.でも,伝えたいという思いは,あくまで「自分の思い」であり,「自分の思い」を伝えるためには,「聞いてくれる人」が必要不可欠だ.
大学教員という立場は,たくさんの人に多くのことを伝えるチャンスがあるけれど,「経験を話す」ということには大きなリスクと責任が伴う.
この前の授業では,「子どもの健康に関わる問題」について,グラフを示して学生たちと,「なぜこのようなグラフになっているか」ということを議論しながら授業を進めた.
そして,常に言っていることは,「僕が話している内容が正解ではない」ということ.
だから,「そのグラフから何が言えるのか,これまで見てきたことや聞いてきたこと,感じてきたことを総動員して考えてみて」というように伝えた.
もちろん,僕の経験してきたことから学生に何かを伝えることもある.でも大学教員としての立場がある以上,これまでの経験だけで話すことは良いことだとは思っていない.時には,本に書かれていることについて議論しながら理解しようとしたり,時にはデータを見ながら考えたりして結論を導き出そうとすることが大切になる.
きっと授業や日々のかかわりの中で,大学生たちに少しずつ大学教員にしてもらうのではないかと思う.
この前,北大のゼミで今年から大学教員のポストについた僕の先輩がこんなことを言っていた.
「大学教員になって右も左も分からない状態で,学生たちに授業したり時には指導したりしないといけない.どうしたら良いかわからない時が多いけれど,そんな時は自分が〇〇先生(指導教員)にしてもらったことを思い出す.気づいたら,私が〇〇先生にしてもらったことを学生たちにもしてあげようと思っていた.」
僕は,これから数十年かけて,自分で考えて行動することができる教師,いや「人」を育てたい.
自分は先生に「自分で考えること」の大切さを教えてもらってきた.