自分は今の立場で何ができるのか
先生になりたい学生,そして先生を育てる仕事とは
大学教員になってから2年.まがいなりにも教員養成に関わってきた.
ドイツで中島先生に「一緒に北海道で先生を育てる仕事をしてみないかい」という言葉をもらってから4年.
僕は先生を育てる仕事を全うできているのだろうか.
誰にでも,人に認めてもらいたいという欲望があって,僕も含めてみんな自分が可愛いと思っている.
僕にだって,褒めてもらいたい,目立ちたいという思いがあるのは間違いない.
自分の頑張りや努力を認めてもらいたいと思っている.
自己顕示欲や承認欲は誰にでもあるものだし,出世の世界だと思われがちだから,プライドの争いにあることもある.大学教員としての見栄があるのも事実だろう.
しかし,ここで改めて原点に立って考えたい.
何のために,大学の先生という仕事を目指して,研究者として生きていこうと決めたのか.
ドイツで生活をしているときに,先生を育てる仕事をすると決めてから,当時決意したことと今の行動はどうなっているだろうか.
そもそも,「先生を育てる仕事」とは何なのか.
自分がこの職について,やりたかったこと,やりとげるべきミッションを今一度考えたい.
先生たちとの座談会
体育科教育という雑誌から仕事をもらって,今回は全国の様々なルーツのある先生たちと4人で座談会をすることになった.
おそらくそれぞれの地区で若手のホープとして活躍する小学校の先生や特別支援学校の先生たちと2時間半も気づけば話していた.
今回はその話の中で感じたことを綴っておきたい.
色々な立場で,体育の授業や子供のことについて熱心に考え,日々実践している先生たちの話は僕にとって刺激的だった.それぞれ,研究団体などで一生懸命,自分の授業力向上や教育力向上に努めていることが話からひしひしと感じた.
◯日々の授業実践の中でどのようなことを意識しているのか.
◯目の前の子供に対して,何を大事にして関わっているのか.
◯どのように自分の進路を考えて,日頃から闘っているのか.
ただ,ここで一つ疑問がある.
若手でありながらも,ここまで熱心に教育研究に邁進できるそのバイタリティはどこから来るのだろうか.
何が彼らをそうさせているのか.
現代の先生たちは,業務が多いから大変,保護者対応が辛い,授業を考えている時間なんてないとよく聞く.
僕の周りの先生たちも,その大変さに悲鳴をあげている人が少なくないし,心の病になってしまう人もいる.
確かに,今回集まった人たちも辛い思いや大変な思いを毎日しているはず.
それでも,自分で決めた道を突き進んでいけるのは何故なのだろうか.
それはやはり,見ているところが自分の周りだけではないからではないかと思う.
自分がどうしたいか,何を信念にするかはもちろん重要だが,彼らは自分が成長することで教育の発展に寄与したり,自分がどのように教育に貢献できるかということを考えているのではないかと思う.
まさに,子供たちを育てながら,周りの先生たちにも影響させていくことを考えているのではないだろうか.
ある意味,今回座談会に参加された先生たちは,自分が影響を与えることができるという自信を強く持っているのかもしれない.
そうした自信や意識をもって仕事をしていることが巡り巡って自分に返ってくることを知っているからこそ,今の自分にできることを一生懸命考えているのではないだろうか.
各地域には,そうした意識の先生たちがたくさんいる.
だから,教育全体のことを考えて仕事をすることが当たり前になっているのかもしれない.
そうした意識をもち働く先生たちがどんどんいい雰囲気を伝染させていくのだろう.
それは,閉じた研究会や研究室の文化や伝統ではなく,もっと広い意味で教育全体を前に推し進めようとするものだと思う.
北海道教育大学で学生をしていた時には,全く全体が見えなかった.
今,日本の教育はどのように進んでいるのか,これまでどのようなことが議論されてきたのか.
先生たちは授業や子供についてどのように考えているのか.
今もまだわからないことがたくさんある.ただ,学会活動に参加したりや全国の先生たちと話をしたりすることで,何が議論の的になり,先生たちが何を見ているのかが少しだけわかってきたような気がする.
僕は,チーム北海道の一員として,どうしたら北海道の教育が発展していくのか,研究で何が変えられるのか,自分が今の立場でできることを精一杯考えることのできる人間になりたいと思う.