プロフェッショナル仕事の流儀

自分の「やりたいこと」

「最近の若者は特にやりたいことがない」なんて話をたまに聞く。

「やりたいこと」が何かみたいなことは20代(今年で20代が終わります)でたくさん考えたし,考えれば考えるほどよくわからなくなった経験もしてきた。このブログを読んでいる皆さんは,「やりたいことは何?」と聞かれた時に答えられますかね?

ちょうど大学時代や大学を卒業してから数年は,「やりたいこと」をすごく大事にしていたような気がしていて,
後輩とかに相談を受けた時も,「やりたいことが何か」から考えるのが大切だとか,偉そうにアドバイスをしていたかもしれない。

 

その「やりたいこと」が,いわゆる「夢」みたいなものなのだろうか。確かに,「やりたいこと」から逆算して考えることで,進路が決まっていくのだろうし,誰に協力を求めるのか,その「やりたいこと」のために今は何をしたらいいのか,どんな力をつけたらいいのだろうか,といったことを人は考えるのかもしれない。

 

ただ,最近感じているのは,「やりたいこと」の定義によって,そこまでの道のりや誰に協力を求めるのかみたいなことが変わってくるのかなと思っている。

例えば,「やりたいこと」≒「なりたいもの」みたいにも考えられなくはない。そうすると,とある子供が将来は「小学校の先生になりたい」と言うのも「やりたいこと」として捉えられると思うんだけれど,「小学校の先生」は教員養成系の小学校の教員免許が取れる大学に入学して無事に卒業すれば,臨時であれば教員採用試験に受からなくても先生になってしまう(臨時採用でも正規採用とほとんど待遇が変わらないし,今は臨時採用すら足りなくて困っている状況がある)。そこで,その子がずっと考えていた「やりたいこと」は完了してしまうのだけれど,通常は小学校の先生になってからの人生の方が長く,その先にも「やりたいこと」がないと,仕事のやりがいを見つけるのが結構大変だろう。

 

ちなみに,僕は高校生の時に教員になりたいと思って,特に学校種にはこだわりがなかったから,小学校教諭の免許が取れる大学を志望校にして結果的に教育大に入学した。教育大学では「学校の先生になる=夢をかなえる」といったスローガン的なものが掲げられて,そこで妙な違和感を感じたことを強烈に覚えている。

その時に意識したのが自分の「やりたいこと」ってなんだろうということなのかもしれない。教師になって何をやりたいと自分が考えているのか,みたいなことを大学生の時には考えていて,今自分が考えている「やりたいこと」なら教師という職業でなくてもいいのかななどと思っていた。

 

少し話を戻すけれど,大学生の時に考えていた「やりたいこと」はその職業で「やりたいこと」だったわけなのだけれど,一般的に「やりたいこと」と言われたら,例えば登山をしたみたいとか,今年は筋トレをしてムキムキになりたいみたいなことまで「やりたいこと」に含まれる。

 

僕が今回考えたい「やりたいこと」は,自分が今の立場でやりたいと思えて,どんなふうに社会や周りの人たちに何かしら影響を与えられるかみたいなところである。これを考えることは実は結構難しい。カッコよく言えば大義名分なのかな?


「プロ」として生きる

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世の中には,色々なプロの人がいる。「プロ」と肩書きがつくもので言えば,プロ野球選手やプロサッカー選手といったようにスポーツ選手は誰でもイメージができる。例えば,イチロー選手のように現役の時には毎朝同じ時間に起きて,同じカレーを食べて,試合に入るまでのルーティンが決まっているといったことがわかりやすいだろうか。

 

イチロー選手がやっていたとされる生活のルーティンを例にあげたけれど,別に野球のプロ選手でない人でもそのようなルーティンを大事にしている人はいるだろう。正直,プロかどうかとルーティンはあまり関係がない。プロ野球選手が必ずそういったルーティンや生活リズムを持っているわけではないからだ。

 

それよりも「大事な場面で打てる」「ファンを自身のプレーで喜ばせる」といったことがプロ野球選手として証だと思う。

 

そして,それは僕の仕事で言えば「論文が書ける」「研究して成果が出ている」ということに行き着くのだと思う。これができないのなら「プロ」ではないと言えるかもしれない。と言うと,かなり自分を追い込んでいる気がするので(笑),大学教員は研究者ではなく,実務家教員と呼ばれるような学校現場から教員養成を任されて採用されている人もいるので,必ずしも論文が出ていないとダメだという見方も少し偏りがあるとも考えられる。

 

ただし,最近は自分自身で「〇〇のプロフェッショナルだ」と思い込むことがとても重要だと思っている。

 

周りからどう見られているかが重要なときももちろんあるけれど,自分でその道のプロだと認識して思い込むことがその人の生活や考え方,それこそイチロー選手のようなルーティンを変えていくのではないだろうか。

 

当然明確に切り離せるものではないけれど,心理→行動といった流れで考えられることはよくある。自分自身を「プロ」であると思い込むことによって,毎日練習するとか食べ物に気をつけるといったことに繋がるみたいなことだ。

そして,「プロ」というもので考えると切り離せないのが「お金」だと思う。給料としてお金をもらって,そのことを生業にしていることも「プロ」としての条件だということである。

 

ここまでをまとめて,改めてイチロー選手のことについて考える。

イチロー選手(現役時代)に対しての世間からの見方は,「毎朝同じ時間に同じカレーなんてすごい」「プロだからやはり徹底されている」みたいなものだったろう。まず,イチロー選手はプロ野球の選手として活躍したいと思っていたから小さい頃から練習を重ねてプロ野球選手という職業につき給料をもらっていた。そして,自身のプロとしての自覚を高めていく中で(もしかするとなった瞬間から,なんなら目指していた時からプロ意識のようなものを持っていたかもしれない),世間の人が知るような生活習慣や野球への打ち込み方になっていったのではないか。そして,偉大な功績を収める選手となったのではないか。

 

スポーツ選手に限らず,陶芸家や作家の方も同様ではないか。その道の修行や練習,勉強をして誰かが作品を買ってくれることで生活ができるようになる。そして,プロとしての意識からどうしたらお客さんが手に取ってくれるのか,自分の作品で感動してくれるのかを考えて制作を続けて,常に改善を繰り返して,結果的に有名になったり多くの人が目にしたり手に取ったりするものになる。

 

何が言いたいかというと,「プロ」は2つの軸で考えられると思うのだけれど,そのことを生業としていること(他者や社会からの評価)と自分がプロだと自覚して行動していることだと思う。自分がプロだと自覚するというのは,何も鼻が高くなっているということではなく,自分はプロだと自覚して当然のように努力して自分自身の研鑽をやめないということなような気がしている。

 

だから,僕は大学教員として,研究者として給料をもらっているからこそ,社会的には研究するプロフェッショナルなわけで,あとは自分自身でプロであることを自覚して戦う覚悟をもつということが重要なのかなと最近は考えている。


プロとしての「やりたいこと」

だいぶ前段が長くなって,なんかめんどくさいと思っていた人も,とりあえずこの章で終わりです。笑

 

自分はこの道のプロだということであれば,「やりたいこと」というのは自分だけの「やりたいこと」ではなくなる。大学教員であり研究者である自分の「やりたいこと」は,社会とか他者とかそういういろんなものを巻き込んで考えていく必要があるのだと思う。

 

梅村拓未個人が「やりたいこと」というのは,分けて考える必要があるのかもしれないなと最近は思っている。これは仕事とプライベートを分けて考えた方がいいみたいな話をしているわけではないけれど,例えば,「英語を話せるようになりたい」みたいな話は,仕事に関係ある話かもしれないけれど,僕がプロとして求められていることではないので,好きにすればいいのだと思う。これは,「写真を撮りたい」「ジョギングをして健康になりたい」「キャンプで友達と焚き火を囲んで語りたい」といった話も同様。「やりたいこと」だけれど,好きにしたらええやんである。

 

今,僕は博士論文を絶賛執筆中だけれど(ブログを書くというのが良いのかどうなのか判断ができない),博士論文を書きたいとか,次はこんな研究をしたい!みたいなことは,僕自身の好奇心の話ではないし,そもそも博士論文は「やりたいこと」かと聞かれると結構難しい。きっと心のどこかでは早く終わらせなきゃとか,やりたくないとか思っている。でも,研究に立ち向かっていると,そのことが面白くなってくるし,もっとこのことを知りたい,誰かに聞いてもらいたいという,いわゆる「やりたいこと」みたいな感覚にもなってくる。そして,その「やりたいこと」は誰かの役に立つことであり,何かに影響を与えるものなのだと思う。

 

プロになって,本当に自分だけの「やりたいこと」を突き詰められる人はわずかなのかもしれない。そして,自分だけの「やりたいこと」がきっと誰かを感動させるようなものになっているのではないだろうか。ノーベル賞を受賞するような研究者も最初は知的好奇心を満たすための研究だったかもしれないけれど,結果的には社会に貢献したり革新的な新しさを発見したりすることにつながっているはずだ。

 

 

今年は30歳になる年なのだけれど,自分が生業としてプロとしてやっていることの先に誰がいて,どこにつながっているのか,そんなことを意識しながら,20代を捨て去って自分自身をアップデートしたい。

 

皆さんも改めて自分の「やりたいこと」,そして自分だからこそ「できること」と向き合ってみてほしいと思います。

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