自分で開催した研究会から考えること

「何もできないじゃん。」

 

研究会の3週間前。

全然準備が進んでいないことに気づかされた。当日のイメージが持てていなくてこの研究会のストーリーがわかっていない。もうわかっていたことだけれど,僕は今まで場当たり的に生きてきたんだなということを改めて思い知るとともに,何もできない自分を自覚した。

 

大学に勤めていて,普通に生きていれば,イベントを企画して実施するなんてことは滅多に起こらない。
じゃあ,なんでそんなことになっているのか。自分が得意ではないことに追い詰められて,できない自分を自覚する経験をなぜしなければいけなかったのか,今回はそんな話をブログにまとめておこうと思う。このブログもかなり稼働率が下がってきてしまったけれど,その時の自分が考えていることを書き残しておくこと,ちゃんと自分の歴史として記しておくことがきっと大事になると思う。

 

今回,僕が企画してきた研究は,体育における「教師の発達」研究会だった。中島先生から2月くらいに「こんなのやってみたら面白いよ」と声をかけてもらって,僕は気づいたらまた「面白そうです!」と乗っていた。

 

いつでも,面白そうなものには「乗ってみる」「飛びついてみる」という感じでやってきたから,今回もある意味条件反射的に乗ったわけだけれど,この時には自分の研究会というものがどんな意味をもっていて,どんな目的を持っているのかイメージすることができていなかった。つまり,何か目的があるというよりは面白そうだということでやってみたいと思った。

面白そうだと飛びつくことが良い方向に働くときもあるけれど,見切り発車で進んでいくことで痛い目を見ることも,これまでの色々なイベントでわかってきたはずだったが,僕にとって改善していくことは簡単ではない。

 

今回の研究会の趣旨は,自分の博士論文に関わってくれた先生たちに登壇してもらって,自分の博士論文で伝えたいことをイベントとして形にすること。そして,博士論文を書く宣言をして,ちゃんと博士号を取りに行くということだった。

 

その話も自分でしっくり来ていなくて,リードされながらぼんやりわかっていただけだったから,研究会3週間前に焦り始めるというようなことになるのだけれど・・・

 

結果的に,準備段階で計画的に進めることができなくて,「何もできないじゃん」という状況に追い込まれていた。
いわば,自分の結婚式のような会にいろんな人を巻き込むわけだから,人生で二度とないイベントとなる。そのイベントのシナリオを描けていないというのは振り返れば怖すぎる。

自分がこのイベントを通して何を伝えたいのか,誰に伝えたいのか,そのメッセージを伝えるためにどんな手立てを打ったらいいのか,そうしたことを逆算的に考えることで,きっと僕でも形にできるはずなのである。そうやって考えることを楽しめるようになることが,これからの自分の結構大きな課題だと思っている。


研究者人生の転換点にする

 

中島先生にとても大きなサポートを得ながら,当日まではがむしゃらになって準備を進めた。
ポスターはプロフェッショナル仕事の流儀を真似て結構いい感じに作ったし,結果的にシンポジウムの進め方や自分の講話の内容,会全体のイメージを持ちながら進められた部分もあるかなと思う。

 

さて,今回このブログに残しておきたいのは,「この会がいったい何だったのか」「今後の自分にとってどんな意味をもつのか」ということだと思う。一端の研究者であり,教員養成を担う1人の大学教員として,この研究会を通して考えたことはちゃんと残しておきたい。

 

今回の主たる目的は,自分が「教師の発達」というテーマで,博士論文を書いて博士号を取るということを研究会を通して伝えることだった。

今回登壇してもらった先生たちは,これまでの研究上の定義からは「熟練教師」であると捉えている。経験年数や現在の立場から決められた定義に基づいてということだけれど,実際に授業を見たり考え方を聞いたりしてきた中でも「熟練教師」だと考えている。

そうした「熟練教師」たちがこれまでの経験や考えを語ってもらったので,この研究会は,熟練者たちの経験談を参考にしてみんなで熟練者を目指そうという会を開きたかったと思われた方もいたかもしれない。

 

今回登壇してくれた先生たちは,授業が上手い「だけ」ではない。授業の上手い下手という話は,授業のテクニックや考え方の話になってしまうのだが,教師としての生き方や意志みたいなものが実は重要で,そうした生き方を選んできたからこそ,授業も上手くなったというようなことを伝えたいと思っていた。

 

現に,今回登壇してくれた先生や僕の研究に携わってくれた先生たちに話を聞いてきて,これまでの教師としての経験を掘り下げていくと,授業のテクニックの話には決してならない。教師としてもっと子供たちの笑顔が見たい,学級経営や授業を通じて子供たちをこんな風に育てたいという思いや仕事への考え方を先生たちは語りだす。

 

きっと,そうした心持ちが熟練者と言われる所以なのだろうと僕は考えている。

 

しかし,若手の先生たちや学生たちは,苦手な子供に対してどのように指導したら良いか,評価はどうやったらちゃんとできるか,といったいわゆる知識や指導技術の話に興味がいくことが多い。僕のこれまでの研究の中でも,若手の先生ほど授業の進行の仕方や時間管理のことについて語ることが多かった。この傾向は,何も若手がダメで熟練者がすごいと言っているわけではない。きっとさまざまな経験の中で,熟練した教師たちは考え方をアップデートしてきた結果,知識や技術が現れる前提に目を向けるようになってきたのではないかと思う。

 

教師たちが子供たちと歩んできた過程に,自分自身の生き方を考えて振り返るきっかけがあったのだと思うのだが,そのきっかけが授業研究や目の前の子どもたちへの授業でうまくいかなった経験なのかもしれない。そうした経験を積むためにある程度の「年数」が必要なことも事実だと思う。

 

だからと言って,学生たちや若手はうまくできないかというとそうではない。教員養成に関わる大学教員・研究者として,1人の教師として生きていく素地を育てること,そしてその素地とは経験から学んでいくことを楽しめることなのだと思う。それは教師1人では決してうまくいかない。周りの先生たちも含めた価値づけてくれる人や目撃してくれる人や必要になるのだと思う。

 

熟練教師たちの経験から,教師として生き方を考えてみる。すると,どの段階や経験年数でも生き方を考えることができることに気づく。そして,教師が教師としての生き方を考えることが「教師の発達」を促すのではないかと僕は考えている。

 

こうしたこととちゃんと向き合えたことが,1人の研究者としての分岐点になると思っている。

 


これからの話

 

実は,先日30歳を迎えた。まだ博士課程に在籍している僕は学生人生12年目を迎えている。

前にも書いたかもしれないけれど,公的に人から学ぶことのできる身分を有していることは,本当に幸せなことだ。

ドイツから帰ってきて,修士課程2年目から始まった僕の教師を対象とした研究は(「僕の研究」などと言っていいのか,そこはかなり疑問だけれど,そうやって無理にでも捉えることは大事),研究指導してくれている先生たちはもちろん,学校現場で目の前の子どもたちと一緒に学んで育っている先生たちがいるからこそ成り立つものだと強く思う。

 

そして,教師たちを研究している自分は何者なのかということも考える。

何度か書いたことがあるが,僕は中学校の先生たちの職員室の様子や生徒との関係を見て,教師になりたいと思った。そして今は,子供と関わりながら教師という仕事を楽しめる教師を育てたい,そんな教師と関わりたいと思っている。

 

教師たちが変われば,子どもたちは変わる。これは間違いない。

僕は少しでも,教育が変わっていく,改善されていくための役に立つ人間でいたい。

 

研究会の最後に,北大の発達心理学研究室で現在,僕の指導教員である加藤先生がこんな話をしてくれた。

これまでの発達研究から言うのであれば,熟練教師とは授業がうまい教師ということだけではないのではないか。教師が発達するというのは,教師として学びを問い続けられるということではないのか。

子どもの発達は自分で意識せずとも起こることがほとんどである。生まれてから身長は伸びるし体重は増える。自我が芽生えたり相手の気持ちがわかるようになったりする。そうした発達は「良いことでも悪いことでもない」のである。

ただ,子どもと違って,教師という存在は子どもとの関係や相互作用から,授業研究に励んだり,葛藤したり,同僚と切磋琢磨したりする中で発達すると考えられるが,そこには教師としての意思や信念が関係する。

 

だからこそ,これから教師教育や教員養成にかかわる1人の教育者として,学び続けようとする教師の素地を育てること,その面白さに気づかせてあげることがきっと大切なのだと思う。

 

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