自分を振り返るきっかけとなる映画
ゴミ人間の話
クリスマスも終わって,年末を迎えている今日この頃,修士論文完成に向けて最後の追い込みをかけているわけです.
なかなか切羽詰まっている時期にもかかわらず,どうしても見たい映画が12月25日に公開されました.それが「えんとつ町のプペル」です.めちゃめちゃ簡単に言うと,煙で覆われたえんとつ町に住む少年が,お父さんが話していた雲の向こうの星を信じて突き進む話です.
僕は良くも悪くも影響を受けやすいので,自分で判断して行動する必要があるなと常々思っています.それでも影響受けるなというのは無理な話で,これまでもスティーブ・ジョブズやワンピースなどに色々なところで助けてもらいました.
ドイツの時には,西野さんやオリエンタルラジオの中田さんのスピーチに影響を受けました.何かに挑戦したいと思っていた当時の自分には,どの言葉も体を貫通するほど突き刺さっていたと思います.
西野さんは「えんとつ町のプペル」を自分の個人的な物語だと話しています.エンディングの歌にも出てくる「夢を持てば笑われて,声をあげれば囃される」という言葉にはなんとなく身に覚えがあって,やっぱり夢を語れば誰かに打たれてしまいそうになります.何か大きな目標や夢を口にしたら,「お前には無理だろ」「まだそんなこと続けてるのか」と言われるわけです.
ルフィは,「海賊王に俺はなる」と言うたびに笑われて,お前には無理だと言われます.
宇宙兄弟のムッタは,UFOの話をしてみんなに嘘つき呼ばわり.途中で宇宙飛行士になる夢を諦めてしまうけれど,すぐ隣にいた弟のヒビトが月に行くことで,もう一度宇宙を目指すんです.そんなムッタの周りにはいつも「そんなの無理だ」と言う人がいました.
中田さんは,3代目J SOUL BROTHERSになると言って,無理だと言われた話をしています.そもそも夢は言えば笑われるものだとも言っていました.
僕の大好きな植松努さんは,子どもの頃ロケットを飛ばす夢を先生に話したら,お前は頭が悪いから無理だと言われたそうです.
ゴミ人間がまとっているゴミは,数多の人間が捨てた夢であると西野さんは言います.だから,そのゴミを拾い,夢を語る少年を心から応援するゴミ人間をみんなが邪魔者扱いするんです.
えんとつ町のプペルは,まさに星を見たいという夢を笑われた少年と,その夢を一緒に見てくれたゴミ人間の物語でした.きっと夢を見てひたむきに走る人に刺さりまくる作品であることは間違いありません.
何かやってやろうという思い
僕は大学生の頃から,色々なことに挑戦するようになりました.自転車160キロと山登り5時間を1日でやったり,教育実習でギターを使って音楽の授業にチャレンジしたり,湧き出る興味や挑戦意欲を満たそうとしていました.
今考えれば,「目的地」が決まっていなかったので,ただ模索を繰り返してだけだと思います.一つだけ何かあるとすれば,「人に伝える」ということでした.自分が経験したことで誰かに影響を与えたいと思っていたのだと思います.
その当時は,先生になることを目指していたので,影響を与えたい対象は子どもたちでした.「子どもたちに何か影響を与えられる人間になりたい」と思って日々奮闘していました.
でも,漠然としたその目的地らしきところにたどり着くための手順がよくわかっていませんでした.
僕が大学院に進むと同時に,大学時代の友達はみんな先生になりました.彼らが子どもたちと向き合っている頃,僕はまだ夢を語るだけの「大学生」でした.海外で1年過ごしてみても「子どもたちに対して影響を与えられる人」になれたという実感はなくて,そもそもそんな実感手に入れられるものなのかも疑問でした.
ドイツから帰国して,今度は「研究」に力を注いでみることにしました.先生から言われた「大学で教師になりたいと思っている学生を育てる仕事」というものにこれまでとは違った興味が湧きました.
少しだけ成長を実感できた瞬間
研究を続けていく先に,自分がたくさんの人に影響を与えることができる感覚がありました.それを少しずつ感じることで,前に進んでこれたと思っています.
去年の12月,初めて自分の研究成果を発表しました.今考えればなんでもない発表ですが,一年前の僕はやっと大学院生の姿になれたと感じていました.その研究発表までの道のりには,多くの人たちの支えがあって,人から怒られることもありました.なんとか形にすることができた達成感と誰かとやり遂げる充実感があったことは間違いありません.
この研究発表の場には,若手研究者賞というものがあり,この賞は僕にとって一つの目標でした.しかし,初めての拙い研究では全くその賞に及ぼず,ただ達成感と充実感があっただけにやりきれない悔しさはありました.今考えればこの悔しさがあったから2020年を踏ん張りきれたのかもしれません.
今年の12月,一年越しの研究発表の場で若手研究者賞を取らせていただきました.例年10人前後の若手研究者が発表する中,今年は2人でした.そしてその2人が選ばれ,そのうちの1人が僕でした.要するに2分の2が受賞したということです.
しかし,自分のこの一年の少しだけの成長を感じるには十分な場でした.ちゃんと発表できたという感覚もあり,「若手研究者賞を取る」という一年越しのリベンジを達成できた事実は変わりません.そして何より,いつも支えてくださっていた先生が終わった後に認めてくださったことが大きな自信になりました.
子どもの一番そばの人に影響を
大学院に入った頃は,研究のやり方がわからなくて,色々なことに挑戦はしてみるけれど,何か空振りした感じでした.ドイツに行って海外の色をつけてみたけれど,自分が思い描いていた「人に影響を与えられる人」になれた感じはしませんでした.
帰国して,周りが働き始めてから3年くらい経つと「いつまで学生続けるの?」「卒業したらどうするつもり?」などと声をかけられることもありました.その度になんとなくはぐらかして,その場をやり過ごしていました.平気な顔をしながらも悔しさを感じていたことは認めます.「まだ現場経験してないのに・・・」と言われたことも,思われていることもわかっています.
ただ,それでも「人に影響を与えたい」という思いは収まりませんでした.そのために研究する力を身につけて大学で働く道を目指しました.
この前,大学生に自分のこれまでの人生について話す場をいただきました.そこで話したのは,自分の海外でのくだらない失敗談や燻っていた思いなどです.でも,そんな僕の話を聞いて,大学生たちは目を輝かせ素晴らしい感想を書いてくれました.
こんな今の僕の話でもちょっとだけ人に影響を与えられたことに驚きました.
大学で先生を目指す学生を育てることは,つまり彼らの人生に影響を与えることになります.僕の影響を受けた学生たちが子どもたちの前に立って,学校という場所でたくさんの子どもたちに影響を与えるでしょう.
たくさんの子どもたちが挑戦を楽しみ,学ぶことを楽しめる素敵な世の中にしたいと本気で思っています.
子どもたちの一番そばにいる大人に影響を与えられる存在になるために,長い道のりをちょっとずつ進んでいきたいと思います.
さて,修士論文執筆に戻ります.